弱っている時の自分なりの立ち直り方について考えてみた

弱っている時の自分なりの立ち直り方について考えてみた

先日、家庭の用事(?)で二泊三日で出かけていた時のこと。最近は体調や気分がすぐれないことが多かった中で、お出かけ中は比較的元気に過ごせていたことを振り返って、その理由について考えてみた。

日常的に、気分が落ち込むことが多いのは、つねに「あれやらなきゃ」「これやらなきゃ」ということをたくさん抱えていて、「今日もできなかった」「また後回しにしてしまった」みたいなことをいつも思っているからだと思いいたった。

外出先では「あれしなきゃ」みたいなことがそもそもできないので、もともと「しなきゃ」と思っていなかった。その分気分が軽かったのだと思う。

ようするに普段は、自分のキャパシティを超えるタスクリストが大いにストレスになっていたということだろう。

それは本当にやらなきゃいけないことか?

さて。なぜわたしは、いつでもこんなに「やらなきゃ」ということに囲まれているのだろうか。

たくさんタスクリストにやることを入れても、結局できずに何日も経過したり、最終的にやらずに終わってしまうようなことも多いのだから、そんなものたちは、もともと「必須案件」でもなんでもなかったんじゃないだろうか。

つまり、そもそも「別にやらなくてもいいこと」だったんじゃないだろうか。

せいぜいが「やったほうがいいかもしれないが、やらなくてもそれはそれでなんとかなること」だった気がする。

そういう「やったほうがいいかもしれないこと」や「ちょっとした思いつき」をたくさん「やること」にして、できなかったといって自分を責めてストレスをためて元気がなくなるくらいなら、もともとやろうとしなくてよかったんじゃないだろうか。

そうだよ。

なんか自分で勝手に自分の仕事を増やして重荷を背負ってひいひい言って、もうダメだとかいって具合悪くなったり落ち込んだりしてただけじゃないのか。かっこわるいし、バカみたいだわ。

やめようよ。そういうのは。

そして片付けられない女になっていた……

わたしはものをうまく捨てられなくて、部屋がなかなか片付かないのだけれど、それももとをたどれば同じことだった。

ものというのは、基本的には何かに使うものだったりするわけで、「今度これをやろう」という「やりたいこと」に付随している。

収集して眺めて楽しむコレクション的なものですら、集めて整理したりそれを眺めて楽しむ手間や時間を必要とするから、そういう「所有物」とそれに付随する「労力」「場所」などなどもあわせて確保しなくては、真の意味でものを所有していることにならない。

また、ものの機能として「まだ使える」としても、それを利用する時間や労力を確保できないなら、それは自分にとっては「使えない」ものだ。

自分のキャパシティ以上に「やりたいこと」を抱えていることによって、それに付随する「もの」は「必要なもの」になってしまって「捨てられない」ということになる。

ようするに、自分が「やりたいこと」「これからやろうとしていること」「やらなきゃと思っていること」が不適切に肥大していると、「もの」だってそこに連動して増えてしまうわけだ。しかも「もの」が増えることによって、その管理する手間や時間やお金なども増えてますます「元気」が使われる。悪循環。

タスクリストの断捨離

というわけで「やること」を減らさなくてはならない。より正確に言うと「やらなきゃと思っていること」を減らさなくてはならない。

よくあるノウハウで、頭の中にある「やらなきゃ」というリストを全部書き出して、一旦脳内メモリを空っぽにしてすっきりした頭で各々のタスクにとりかかりましょう、というのがある。

しかしわたしの場合、その脳内リストが「こんなにある」というのを見てしまうだけでもじつはストレスになっていた。そして、そのうちの一日のタスクとして妥当な範囲をこなしたとして、まだほんの一部じゃないかと思うとうんざりした気持ちになるし、むしろちょっとくらいやってもやらなくても変わらないような気すらしてきて、一日分のわずかなリストすらやる気が失せたりもする。

または細かいこともたくさん書いてあることによって、「ちょっとした思いつき」による簡単にすぐできることを先にやってしまい、ちょっと大変だけどそれより先にやっておいたほうがよかったこと、などが後回しになってしまう。

もちろん、そうならないように優先順位をつけたりするべきなのだろうが、そういうどうでもいい雑用に決断力が使われるわけで、聞くところによればマークザッカーバーグ(facebookのTOP)はいつも同じような服にして、服を選ぶ労すら惜しんでもっと重要な決断に備えているらしいのに、ちょっとした思いつきをいちいちメモに取って、それを「今やるべきか」と考慮するのは大いなる労力と意志力の無駄遣いという気がする。

そもそもわたしは妄想力旺盛で、思いつくだけなら死ぬほど大量にいろんなことを思いつくんだよ。いちいち全部丁寧に見てられないわ!ということにやっと気がついた。

というわけで、何度もためしたのだが、思いつきを毎日全部書き出すとかいう方法論は、わたしには向いていないんじゃないだろうか。

ひとまずそうだとして。

で、現実的にこれからどうしようかというと。

今すでに日々のやることリストが、うんとたくさんあるので(なんならアプリで毎日ルーチンがあらたに生成されるので)、とりあえず今までどおり生活して、できる範囲でタスクをこなしつつ

できなかった分にたいして「やらなきゃいけなかったのにできなかった」と思うのではなくて「これは今日やらなくてもよかったものだったんだ」という認識に変える。

そして、やらなかったルーチンなどは「とりあえず」今後はやらないことにする。

そうやって、日々できなかったことを「やらない」ことにしていけば、じょじょにやることリストは減るはずであろう。そうやって無理やりにでも「やったほうがいい気がするけどできてないこと」で心の負担になっているものを減らす。

タスクリストを厳密に使うのをやめてみるテスト

ぜったいに本当にやらなきゃいけないことは、メモやタスクリストなどなくてもやると思う。そこは自分を信じよう。

すくなくとも今までだってなんとか生きてこれたのだし、「やらなきゃ」ということをふっとばしても、これで死ぬということはないはずである。

ライフログを厳密につける生活に憧れて、トイレや風呂などの日常生活も可能な限りログをとって計測してきたが、いまのところそれを有効活用できている気がしない。

一日の予定を組む時に、そういう生活の時間も計算にはいっていれば、タスクをつめこんで「これは絶対に無理な予定だ」ということにならないように、あらかじめ計画できるという局面では、意味がない記録ではないのだけれど

わたしの場合は、時間的に可能な予定をたてても、そもそも一日の起きている時間をフルに活動してばりばりやるといったことができない。そのために必要な体力や気力などが足りていない。

ライフログの記録から、そうした一日のうちで生産性が高い時間帯を知ったりすることもできるようだけれども、そんなことを考えたりすること自体、現時点でキャパシティオーバーである。

によって。

もっと簡単にする。

今のこの心身の弱り具合からすると、「一日一個だけ、一番大事と思ってることを成し遂げる」くらいを目標とするのがせいぜいな感じ。

というわけで。

ここしばらくは、タスクリストをめちゃくちゃ減らす。

ことをやっていこうと思います。タスクリストの断捨離ですな。はたして結果やいかに。

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