「イイネ」といわれたいだけの人生はいやだと思った話

以前たまたまテレビで見た番組のことをふと思い出した。

世代別の購買行動の違いとして、シニア層は高級時計や車などを買うけれど、若い世代はオシャレカフェや話題のスポットなどに行くという体験に金を使う、というような報道だった。

しかし、これって一見、興味が世代間で著しく変わってるように見えるのかもしれないけれども、本質は何も変わってないんじゃないの? と思った。

つまり、根っこの動機は、どの世代も変わらず、まわりから「イイネ」と言われたいってことだけなんじゃないか。

ちょっとリッチなシニア層は高級時計がその手段だし、若者はいろんなところに行って写真をとってはSNSにあげることで、ともだちに「イイネ」と言われる。

中には、人に賞賛されなくても時計自体が大好きとか、いろんなところに行くこと自体が大好きという人ももちろんいるとは思う。

けれど、全体的傾向としては、みんなが「イイネ」という対象が変わったから消費活動が変わっただけだと思った。

番組では、若年層の高級時計需要をあらためて喚起したい風だったけれど、もっと安価にインスタントに「イイネ」がもらえるこの時代、「ものより体験」などと散々広告したあとで、物欲に戻すのはなかなか骨がおれそうだと思った。

でも人の「イイネ」と言われたい欲は依然として強いんだろう。

かくいうわたしも、親からは、要約すると「人からイイネと言ってもらえる人間になれ」という教育をうけた。そしてそれへの反発がすごくある。

もちろん人に「イイネ」と言われたい気持ちもある。

ただ、人のイイネを基準に行動していると、本当に自分がやりたいことがわからなくなるし、それは幸せじゃないなと思った。

しかも、やっかいなことには、他人の基準に流されているときには、それを自分自身の望みと勘違いしていて、勘違い自体になかなか気づけないということもある。ある種の洗脳だ。

そうならないためには、周りに流されているのかもしれないという可能性をいつも考慮して、毎日「それは本当にやりたいことか?」と自分に問いかけていく。他人の基準でなく、自分の人生を生きたい。