恐怖心が大きいとやりたいことが見えなくなる話

恐怖心が大きいとやりたいことが見えなくなる話

ブログを毎日更新しはじめたけれど、じわじわ遅れて日付またいじゃった。永理です。おはよー。

根本的に自分に対して「だめだ」「無理」って思っている自己否定的世界観をすてようとしてるところですが、長年無意識にそうだと思い込んでいて、日常的な思考回路もその前提に立脚していたため、がりがり脳のOSが上書きされている。

過渡期で、なんというか、とても不自由です。でもこのアップデートがすんだら、快適になるだろう。きっとなるはず。

脳内の旧OSのバグ的思考回路について

昼間、サブアカウントのTwitterを見てて、ちょっと落ち込んでしまった。

とあるフォロワーさんから、その内容が「なんか微妙にそれ失礼じゃない?」みたいなリプライがあって、 客観的に見て大した内容ではないのだけれど

「この人わたしのこと嫌いなのかしら」とか「バカにしてるのかしら」という気がしてしまい

同時に、小さいことでくよくよしている自分が嫌だ!とも思って。

「ん?」とひっかかったのも受け取り方次第かもしれないし、相手に悪気はないかもしれない。

あるいは、こちらのほうに、もともと人から嫌われるものだという被害妄想があるのかもしれない。

とか。そんなぐちゃぐちゃした思考回路に入ってきて、なんだかため息をついてしまって。

ちょっと待て。強制終了。

夢へむかう道を自ら阻む思考回路

そもそもそのくらいのことに思考エネルギーを使う必要ないよね! ひまですか!?

もっと自分の人生において重要なことにエネルギーを使おうよ。

あなたの人生の時間は、もっと価値あることに使うべきなのよ。永理さん。

そんなメンタリティのままだと、せっかくブログを書いても、広めることに抵抗がでてしまう。

そんなことをいちいち気にしていたら、フォロワー数も増やせないっていうの。だから、広めるための積極的な手を打てない。

今まで、アクセルを踏みたいのに、同時にブレーキを思いっきり踏んでいて、どこにも行けない感じがずっとしていた。

処方箋

もともと小さいことに惑わされない人は「気にするな」としか言わないし、たしかにそれだけが唯一の答えなのだと思う。でも、気にする人にいくらそう言っても役に立たないということもある。

じゃあ、どうすれば「気にしない」ようにできるかというと、かわりに「別のことを考える」。 もっと重要な、自分が行く方向について考える。どうやってそこへ行くかにフォーカスする。ぼんやりした不安には焦点を当てない。

それは将来起こりうるリスクを無視しろということではない。また、自分のひっかかりは無視しないようにする。「なんかいやだった」と思ったら、それはそれとして、「あ、そう感じたんだね」ととっておく。そういう自分の感性も大事にする。それは何かの予兆のような直感かもしれない。でもそこから無理に意味を見出そうとしたり、むりやり理屈をつけたりしない。「なんか嫌な感じがしたね」「うん」以上。

そういうものとは別に、具体的な懸念があるなら、そのことは問題としてとらえて対策をする。結局、もやっとした不安や恐怖心は、もやっとしたままにしておくから、いつまでもそのままなんだ。不安は具体化して、「その場合はこうする」と準備をする。それ以上はどうしようもないと理解する。

たとえば、「地震がきたら、これを持ってここに逃げる」など、避難グッズや避難場所のシミュレーションをして、場合によっては避難訓練をしたりするのもいい。

ただ、四六時中「地震がきたら怖い」「死ぬかもしれない」と心配していても何も得るものはないと知る。心配することだけで、この一度しかない人生の、今という瞬間が消費されてしまっていいのか。

恐怖が大きすぎると、パニックになってやみくもに恐怖から逃れるための行動に走ってしまう。やりたいことがわからないという人は、もしかして、そんな漠然とした不安に駆られて自分を見失っているのかもしれない。おちついて合理的に考えよう。

何も怖がる必要はない。ちゃんと問題はどうにかできると信じる。

そんなもやを掻き分けていた。もう少しで、ちゃんと行き先が見えてくる気がしてるんだよ。

今という時間を自分にとって有意義だと感じることに使おう。

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