こどものときなりたかった職業は嘘だった話(毒親話注意)

こどもの頃「将来なりたいもの」について作文を書いたりしませんでしたか? わたしは、たぶん小学校高学年のとき、宿題で書いた覚えがあります。

でも、わたしは昔、作文の宿題が嫌いでした。

なぜか。

母親の作文検閲(毒吐き注意)

作文自体は、むしろ得意な方で嫌いではありませんでした。でも、家で作文の宿題をやっていると、母親に「見せなさい」と奪われて、徹底的に駄目出しをされるのです。(また毒親の愚痴になって恐縮です。)

それは、アドバイスや指導としての駄目出しというレベルをはるかに超えた、検閲、思想統制レベルでした。

この宿題のときも、母に見せる前にもともと書いてあった作文は、何時間もかけて書き直しをさせられている間に、消されて消されて跡形もなくなりました。

主題である「なりたかったもの」自体も完全に否定されて、別のものになりたいことにねじまげられました。

ひとつの職業ではなく、これとかこれとかこれと、いくつも列挙させられました。その中のどれ一つとしてなりたいものなどありませんでした。しかし、そのこと自体を認識することができないほどに抑圧されていました。

その作文を提出するときも、陰鬱とした気分でした。「こんなものわたしの考えだと思われたくない」と思っていました。

こどもの宿題をそこまでいじり倒す親ってなんなんですかね。

あるときは「よく書けているから、これを作文コンクールに出すので、家でもう少し推敲してきて」といわれて、学校で書いた作文を持ち帰ったところ、同様に、母の張り切った指導により根本から別の内容にされました。

しかしコンクールでは落選。母は相当悔しかったようで、別のクラスで入選したAくんの作文に負け惜しみでこういいました。「あんなものは、おかあさんに書いてもらったんだ。ずるをしているんだ」

そのときは愚かにも「そうなのか」とすなおに信じていましたが、あとから思えばAくんが親に書いてもらったかどうかなんて母が知り得るはずがなかった。ただの言いがかりです。そもそもわたしの作文も母が書いたのとほとんど同じなのに、何を言ってるんだろう。自分がやっていることは、当然人もやっていると思うのか。

仮に同じことをやっていたとしても、あなたがAくんのお母さんより作文が下手だっただけですね。小学生のコンクールで入賞できない程度の作文しか書けないのに偉そうに指導するのはやめたほうがよかったですね。もしかして直す前のほうがむしろマシだったかもしれませんね。

思い出すだに、嫌悪感と軽蔑しかわかない。どこかに情状酌量の余地とか、かわいいところ、許せる部分はありますか。

むかしのことだから、もう忘れよう、っていうこと以外なさそうですよね。あ、私自身が、むかしのことを、こんなに執念深くて恨みすぎてて気持ち悪いですか。ごめんなさい。

いちいち書いているときりがないけれど、類似の思い出が大量にありすぎてつらい。もう全部捨てたい。

マンガやブログ執筆の際にも敷衍される恐怖

で。

なんで、今さらこんなこと思い出したのかなというと、先ほどSNSのリンク先で、マンガ編集者の非道っぷりがまとめられたページをうっかり見てしまったからです。高圧的な態度で理不尽な直しを作家に強いたり、恫喝、脅しなどをしたり。メンタルをやられた作家さんの体験談。

自分がひどいことをされたわけでもないのに、過去の母との思い出がオーバーラップして、胸が苦しくなりました。

そういえば、漫画家になったら、他人である編集者にも、母からされたように理不尽に全否定されるのだろうな、と勝手に思いこんで「漫画家になりたい」という希望を、一度も真剣にトライすることなく棄却したのでした。

人に駄目出しをされまくって、原型が跡形も無くなって、「こんなのぜんぜん書きたかったものじゃない」ということになってしまったら、仮にそれでマンガ家になれて売れたとしても、別にうれしくない。心が死んでいくし、苦しいだけ。自分の大好きなマンガでそんなことになったら辛くて生きていけないと思って。

そのときは、駄目出しを受けて「直したらよくなる」という希望が全く持てないほどには、世界全体にたいする信頼を失っていました。直せば直すほど、自分が否定されて、作品がいやなものに変わっていく経験しかしたことがなかった。

もちろん、過去はもはやどれだけ悔やんでも、親のせいにしてもどうにもならない。今の人生で得てきたこともあります。

過去のトラウマはこうやって書いていくことで、心の傷を癒し、これからの人生にすっきりした気分でむかっていきたい。

目標達成のためのメンタルの強化

それに、親がもっとよい対応だったとしても、他の人から高圧的な理不尽でひどい対応をされたら、だれだって嫌だしメンタルをやられたりもしますよね。

マンガ家になっていなくても、ブログやSNSでちょっと失言をしただけで、叩かれたり、炎上したりすることもあるし

理不尽な人はどこにでもいるので、もし運悪くそういう人々に自分の進む道を邪魔されても、めげないだけのバックボーンをしっかり作っておかないと、どんな人生でも足をすくわれることになりかねません。

結局、自分が目指しているものは何か、得ようとしているものは何かを、はっきりと自覚してそこに集中していれば、だんだん雑音は見えなくなっていくと思う。まず自分の心をしっかり決めるということが大事なんだなと。

そんなことは、たぶんこれまで何度も書籍やいろいろな場所で読んだ気がするけれど、やっとだんだん腑に落ちてきたところ。

そして、また全然記事が短くない!!www