「いかがなものか」的思考回路をやめようと思った話

最近決めたことがある。それは「いやなものにフォーカスしない」ということ。

SNSを見ていると、シェアされて流れてくるブログやウェブサイトの記事で、世の中にたいして「これこれこういうことはいかがなものか」と、苦言を呈する系統のものがちらほら見受けられる。

そういうのを見ると、自分にあてはめて凹んだり、過去の失敗が連想されて「ああ、あの時は悪かったなあ」と思ったりすることもあった。

過去の失敗を反芻することの意味

でも、ふと思ったのは、それ、わたしの人生でやらなくていいことだったな。と。

昔やったことはもう変えられないし、その場でお詫びするなりなんなり対処するしかなく、もうその機会が失われているのなら、二度としないように行動を改めるということ以外、今やるべきことはない。

同じことを、今はもうしていないのだったら、過去の過ちを何度も思い出して凹むことに今という貴重な時間を費やすことは何の利益もない。

問題解決に直接関与するところに働きかけよ

先日、利用しているウェブサービスで著しく不利益があり「はあ??」と、かなりイラっとして、その気持ちをブログに書こうかなと思った。

でも、それをやってしまうと、あとから自分がブログを見返したときに、嫌な気持ちになるなーと考え、思いとどまった。

べつに嫌な仕様でいらっとしたから、そのサービスを悪く言って世に知らしめてやろうというような意図はないし、みなに「これは使わないほうがいいですよ」と注意喚起するほどのことでもない。(でもまあ、たぶん利用者はみないやだなと思いそうなことではあった)。

わたしはたんに、一利用者として、それをやめてほしいだけだった。ならば、それをブログに書いて、があがあ言っても、もし、わたしが著名人で社会的な影響力がある人だったなら別として、多分仕様はかわらないだろう。

自分の望みは、「その仕様はやめてほしい」ということ。ならば、それをどうにかできるのはサービス提供側だけだ。ということで直接、「それはこのように不便で困りますので、やめてほしいです」と問い合わせフォームから要望を送信した。

それによって、その仕様がどうなるかはわからないけれど、それ以上はどうしようもないので、考えるのをやめた。どうしても我慢できなければそのサービスを利用しないことにするしかないだろう。

けれど、やるべきことをちゃんとやり、やらなくていいこと(=自分のブログで不満をぶちまけること)をやめられたと感じたので自分としてはすっきりした。

いかがなものかとやたらというのはいかがなものかという話

世論を巻き込んで、企業倫理や社会体制を変えたいというような内容であれば、「いかがなものか」とあまねく訴えかけてもいいかもしれない。

でも、まわりによくいるような「こんな女はいやだ」程度の苦言を見かけると、たんに、それ、本人に言うしかないのではと思ってしまう。

たとえば、「人の話を聞かないで自分の話ばっかりする奴がいやだ」といわれても、そんなのどこにでもいるし、いくら「いかがなものか」と「みんなに」いってもいなくなるわけがない。

べつに、世間の「自分語りするうざい人」を全般的に駆逐したいというような意図はなさそうだし。単に目の前にいる、この「わたしがわたしが」という空気を読まない輩に我慢ならないだけなんでしょう。

でも、それなら、そんな一般論で語ってないで

解決策としては、言い方はともかくとして、本人に「やめて」っていうしかないんじゃないの?

それか、つきあうのやめれば?

というふうに、うっかり思ってしまったりはするのだった。

愚痴ることもある種の現実適応かもしれない

でも、多分。

直接言えないか、言っても聞いてもらえないか、あるいはつきあいをやめることもできないから書いてるのかもしれない。

あるいは、それならつきあうのやめてやる!という話なのかもしれない。

自分のブログで、愚痴ったり持論を展開する権利はあると思う。

それに対してわたしが文句を言う筋合いではない。

どうしても逃れられない不快な出来事を吐き出して、賛同してくれる人がいれば、すこしは溜飲が下がって、心の平安が保たれるかもしれない。

わたしがやめたいこと

なので、ここからはたんなる自分の問題として、

他人の「いかがなものか」を見ると、それに対して別の考えが生まれたり、べつの「それはいかがなものか」という考えが心に浮かんだりすることが多々あって、そうなってしまうと自分が面倒臭い。

別にいま自分がそのことに悩まされているわけでもなく、社会問題を「いかがなものか」と問題提起して考えることで公共の福祉に利するというような種類のことでもないなら、そんなことにそもそも「考える」というリソースを割く必要はないんじゃないか、と思った。

自分の人生が何も良くならない種類の思考は、エネルギーの無駄かなと。

というわけで、自分のゴールに関係がないところの「いかがなものか」ということについて考えたり、凹んだり腹を立てたりすることに思考エネルギーを割くことをやめたい。

友達から悩み相談されて「こんな奴ひどいよね」といわれたら「そうだね」と共感することにエネルギーを注いでもよいが

ブログの向こうで知らない人が嫌な目にあって「ひどい」と思っていたとしても、いちいち同調したり反駁したりといった感情エネルギーを使っていてはガス欠になってしまう。

人は人。

人をみて嫌だなーと思うことは、直接害を与えられたり、関与できる立場にない場合は、たんに自分がやらなければいいだけ。

というわけで。そもそも「こんなの嫌だな」ということを考えたりするのからやめればいいんですよね。

そうしよう!と強く思ったという話。