先日、GTD(Getting Things Done)というライフハック手法についてブログに書きました。
GTDの手法では、まず「やること」「やりたいこと」「気になること」をとにかく書き出したりして集める。そして、集めたタスクを上から順番に「これは今はやらない」などとフローチャートにそって、その場でわけていく。ただし2分以内にできることはすぐやる。
わたしの場合、この段階でいつも破綻するわけです。そこで、何がいけなかったのか具体的に見てみます。
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わたしが収集したタスクを一つずつ処理しようとして失敗した理由
例えば、思いついたタスクで「電球を買う」「ノートの透明カバーを買う」「睡眠についての本(書籍名)を買う」というようなものがあったとします。
最初の「電球を買う」というようなものはいいんです。おそらく電気が切れている、または切れそうなので、買おうと思ったのでしょう。こういう必要なものはさっさと買うだけです。
問題は次の二つです。
それをやることで得たい結果が何なのか理解しているか?
二番目の「ノートのカバー」について、わたしはなぜ、それを買おうと思ったのでしょうか。
それは、お気に入りのバッグに、よく使うノート(分厚いカバーをしてある)が入らなかったから。バッグにはいるように、もっと薄いカバーに変えたかった。つまり「そのノートをお気に入りのバッグにいれて外出したかった」のです。
しかし、よく考えればわたしの外出する頻度は低いし、さらにその中でもそのノートが必要な外出先も限られている。
ということを考えれば、どうしてもそのノートを持って行きたければ別のバッグにしてもよいし、いっそカバーを外すという手もあるかもしれないわけです。
結論。「別に新しいカバー、そんなに必要じゃないかも?」
タスクを眺めているだけでは、そのタスクのルーツである「なぜそれをやろうと思ったか」ということは見えてきません。カバーなど安いものだし、よく考えなければさっさと買ってしまうかもしれません。
そんな小さな買い物や労力というロスは、積み重なれば、もっと大事で大きなものを成し遂げる妨げとなるのです。
そこで、タスクをやるかやらないか判断する際、「それをやることで何が得られると思ったか」という「得たい結果」にフォーカスしてみることにしました。
それでやっと、そのタスクの必要性がわかりやすくなりました。
得たい結果を得るために、そのタスクは最適か?
三番目の「睡眠に関する本を買う」ということを思いついたのは、たぶんその本の宣伝などを見て興味をもったことによるのでしょう。
タスクを思いついたときに、明確に意識はしていませんが、たぶん得たい結果は、「良質な睡眠を得ることで、疲労を回復し日中の活力をUPする」といったことなはずです。
つまり、「本を買う」というタスクと、その裏で自動的に引き起こされる「それを読む」「実践する」というタスクは、それ自体が目的ではなく、「活力UP」のための手段なわけです。
「良質な睡眠をとることで、日中の活力をあげる」という結果はたしかに得たいものです。でもそれを得るための方法は、ほかにもいろいろありそうですよね。
日中運動するとか、瞑想する、アイマスクを使う、アロマをたくなどなど…。
わたしにとって、今一番必要で効果的な方法は、その睡眠の本を買うことでしょうか?
本を買うのもただではないし、それを読んだり実践したりする手間もあります。せっかく目的のための行動をするのならもっとも効果的な行動を選びたいのです。
でもその結果を得るための他の方法と比べて検討しないと、その目的にたいして、はたしてそのタスクが最適な解なのかどうかは見えてきません。
所感
たとえば「風邪を治したい」「やせたい」「新しいWeb技術について学びたい」などなど…。
いろいろと得たい結果があります。その結果に関連してたくさんの項目をタスクとして思いつくものと、そうでないものがあります。
かりに、ひとつの得たい結果のためにたくさん思いつく項目があったからといって、それが一番大切で、一番得たいものだとは限らないと思いませんか。
自分にとって本当に重要だけれど、たとえば難しいとか、やったことがないといった場合、じゃあそれをどうしたら得られるのかについては、あまり具体的にやることを思いつくことができないと思います。
ですから、単に思いついた項目を、それだけ見て、順にこなすだけでは、本当に大事なものがどんどん後回しになってしまいがちになると思いました。
そうならないためには、タスクだけを見るのではなくて、そのむこうに「得たいもの」も見る。
そうすれば、そのタスクを完遂したときに、一歩ずつなりたい自分に近づいたと実感でき、充実感も得られるのではないでしょうか。
さもなければ、日々「やるべきこと」に追われて、ばたばたしているだけで一生が終わってしまう気がするのです。