ものを大事にしなさい
と、捨てることに罪悪感をもたされて成長したためか、はたまた自分自身のパーソナリティゆえか、お片付けが大の苦手なわたしが通りますよ。
いや。
苦手と言ったらいけないんだった。
昨年末から、ライフオーガナイザーのお力を借りつつ、それまでの片付けられなかった自分から、じわじわと脱却しつつあるのですから。
ライフオーガナイザーとは
ライフオーガナイザーとは、「思考と空間の整理のプロ」ということで、アメリカでは一般的に認知されている職業とサイトに記載がありましたが、じつはわたし、よく知りませんでした。
jMatsuzakiさんのブログセミナーに参加したときに、たまたま前に座っていたオオノミエコさんとお話をして、自己紹介を受けてはじめて、ライフオーガナイザーという仕事を知りました。
それから、オオノさんのブログを拝見するようになり、彼女自身も昔は片付けられない女だった、というような話に共感したり、
そこからどうやって片付けのプロになったのか? というあたりを大変興味深く読んで行くうちに、
とうとう去年「実は片付けられないんです」と相談にいくことになったのでした。
整理できないのは、頭の中がとっちらかっていたからだった
それまでは、片付ける、整理する、というのは
とにかく「捨てる」ということだと思い込んでいて
でも、「捨てる」ことには、罪悪感や未練など、いろいろな思いが絡みついていたので、どうにも身動きがとれなかったのです。
しかし、最初に「頭と心のオーガナイズ」という面談を受け、ちょっと自分の考えがずれていることに気がつき始めました。
話をしたり聞いたりしているうちに、いくつかのブレイクスルーやパラダイムシフトが起き、頭の中が、じょじょに整理されはじめていきました。
そして、なんだか、前より片付けられそうな手応えがちょっと得られつつある今日この頃なのです。
片付けられないのは片付けだけの問題ではなかった
片付けられない原因は人によっていろいろ違うと思うので、わたし個人の具体例が、どの程度他の人の参考になるかはわからないのですが、
ただ、現時点で自分なりに言えることは、
これまでのわたしの敗因を一言であらわすと
「自分を何か別の型に押し込めようとしていた」
ということだったと思います。
これは、片付けのみならず、自分の人生全般にたいする態度でもありました。
つまり「ありのままの自分自身はOKではない」と感じており
だから「なにか自分以外のものにならなくてはならない」
とつねに思っていたのでした。
そのような考えは大変苦痛でもありましたが、それ以外の考え方を知らず
自分の外側のどこかに「こうすればOK」というような、正しい答えというか「型」みたいなものが、あるのだと信じていました。
そして、「ダメな自分」が「OKな自分」になるには、なんとかして、自分でも入れそうな型を見つけること、そこに何とかして自分を押し込ること、ということしかないのだと思っていました。
進路や生き方なども、そのような世界観から決めていたと思います。
でも、ときに、どうしても自分にぴったりくる、自分が入れる「型」が見つからないときがあって。
夢遊病者のように、ふらふらと探し歩いては、「まただめだった」と放り投げて自己嫌悪に陥る日々でした。
でもそれはそうした態度自体が間違っていたのだとわかりました。
部屋や環境に自分を押し込めるのではなくて、自分にとって居心地の良い空間を、自分で定義して、自分で作っていっていいんです。
それに気がついたとき、お片付けのみならず、重かった自分の人生の車輪が、ゆっくりと、ぎこちなく回り始めたのでした。
所感
なんというか、やはりまだ抽象的にしか書けなかったのですが。
それはまだ、頭の中も部屋も片付け終わっていないから
というより、片付けというのは本質的に終わりはないものだったんですね。ということも発見できました。
何を当たり前のことをと思われるかもしれません。恥ずかしい。
つまり、できない人には、できない理由があったということでしかないんですよね。
ただ、当の本人は何が間違っているのかという、根本的なところをわかっていないという。
その状態でいくら、小手先の収納術やテクニックを学ぼうとしても、その場限りの付け焼き刃だったんだと思います。
というかんじで、片付けについても今後、もうちょっとまとめていきたいのだけれど。
今日の所はこのへんで。
頭と心をすっきり整理して、住まいも居心地良く整理したいという方は、わたしの曖昧な説明ではよくわからないと思いますので、ぜひライフオーガナイザーさまのブログをごらんになってくださいませ。
だめだめなわたしを導いてくれているオオノミエコさんのブログはこちらです。