「ブログは、自分が書きたい事ではなくて、読者が読みたい事を書け」とか、よく言われてる。
一言いいたい。
自分のブログに、自分が「書きたくもない事」を書いて何がうれしいの?
以上。
だけで終わるのもちょっとあれなので、もうちょっと語るよ。
「読者のことを考えて書く」ということ自体は大事だと思う。
でもなんでそれが「自分が書きたい事」と両立しない前提なのかがよくわからないんだよ。
同様の言質で「本(の企画)は、自分が書きたいものではなくて、読者が読みたいものを書け」というのもある。
そりゃ、商業出版物が「売れてなんぼ」なのは当たり前。
しかしなんでわざわざ「書きたいものではなく」と除外する必要があるの?
逆に問いたい。筆者が書きたくないもの(=書きたいものではないってそういうことでしょ?)を、いやいや書いて(いやいやじゃないなら書きたいものじゃん)、果たして「売れる」本になると思うか。
考えても見てください。
だれか、村上春樹は書きたくない小説を書いていると思うのか。
尾田栄一郎はワンピースをいやいや書いていると思うのか。
正解は「自分が書きたいもの」かつ「読者が読みたいもの」を書け ってことじゃないか。
それに、一応全部の本「まあ、これは商業的にある程度はいけるだろう」という見込みで出版されているはずなのに、実際には全部の本が売れているわけじゃないやん。
つまり、極論「何が売れるか」「何が読まれるか」なんて、事前にはわからないってことですよ!!
もちろん事前に(完全には)わからないからといって読者のことを何も考えなくていいというつもりはない。
だが!! なんか多分、こうやったほうが売れるかもとかアクセスくるかもとかそんなんばっかり狙って、書きたくもないことを書いてるんだとしたら、虚しくないのかな。何かうれしいの? お金のため?
「(商業出版物は売り物なんだから)最低限売れるものを書け」という主張は妥当であると思う。だが前半とは論理的に一切つながっていない。
「書きたいもの」と「売れるもの」は別に排他的な関係にあるわけではないからだ。真のヒットはむしろ両者の重なる部分にあるはずだろうと思うが如何。
何がいいたいかというとつまり、「俺たちは基本的に書きたいことを書いていいんじゃないか」ということ。むしろ堂々と書きたい事を書くべきだと!
ブログなどは特に、どんどん書いて実験すればいい。
むしろ自由に書きたい事を書いて、その中で読者の反応がよかったものに、リアクションしたり、追記していったりするうちに、自然と筆者が書きたい事と読者が読みたい事が融合していくというように、自然なプロセスの中で、両者の論理積(AND)の部分が熟成されて行くのが理想。
もしかして、問題の言質は「自分が書きたい事の中で、読者が読みたいことだけを書け」と言いたかったのかもしれない。「(自分が書きたい事でも)読者が求めていないことは書くな」ということなら意味はわかる。(ノイズになるしね)
でもまあ、これも結局、事前に読者の反応を100%予測することはできない以上、やってみたあとでの結果論にならざるを得ない。こりゃいけると思っても外す事だってある。やむを得まい。
あるいは、どんな手段をつかってでもブログのアクセス、PVミリオンだぜえ!ということがうれしいとかそういうこともあるのかもしれない。そういう人はそれでいいと思う。否定はしない。
しかしそれは単に「アクセスを稼ぎたいなら、読みたい人が多そうな記事をかけ」ということにすぎず、それが筆者の「心から書きたい内容」かそうでないかは別の問題だ。仮に誰かが自分の書きたいものを一切書かずにPVをあげたとしても、それは「自分が書きたいものを書いていてはPVアップが達成できない」ということを証明したことにはならない。
というわけで。
結局自分がやることとしては。
につきるってこと。結論。