好きなこと vs 稼ぐこと?

「自分が書きたいことじゃなく、読者が読みたいものを書け」

みたいなことをよく聞きます。はい、こんばんは永理です。

でもこういうことを言う人は、その前提条件をあんまり言わない気がしますな。なんで?

ノウハウの前提は「売れること」みたいだけど?

これって、「(たくさんの人に読まれたいなら or ブログのアクセス数を稼ぎたいなら or 稼ぎたいなら)自分が書きたいことじゃなく、読者が読みたいものを書け」ってことですよね?

なんでその前提条件をすっとばして、後半部分だけを、さも絶対的な法則であるかのように語るのでしょうか。

あるいは「その前提は言うまでもないほど全員が共有してる」という前提なんでしょうか。

そもそもプロってなんだ

最近、cakes(というサイトの対談)で、宇多田ヒカルさんの言質が引用されてて、それは、客が求めるものとアーティストとして表現したいものと「両立させるのがプロ」というような主旨だったと記憶してるのですが

「さっすが!ヒッキーかっこいい!」とは思ったものの。

よく考えたら、仮に「やりたいこと」をやってなくても、売れてればプロと言われますよね。

好きでもないのに売れるなんて甘くない、みたいなことはままあるとしても、プロかどうかは、買う人がいるか否か、だたそれだけで決まってることでしょう。

だから、「売れたい」ということを前提にするなら「売れるものを作れ」というのは100%正しい。

問題はその「売れるもの」が「好きなものとは限らない」ってところでしょ?

そうなると、結局「稼ぎたいなら好きじゃないかもしれないことをしろ」と言ってるのと同じになって、そんなのノウハウでもなんでもなく、だからこそみんな会社に行ってるんじゃないのかよ? といいたくなる。

なぜ稼ぎたいのか?

しかし、そもそも、プロになってどーすんの?というと、生活するのにお金が必要という以外では、結局「好きなこと」をするために使いたいのではないのかな。

ということは、結局やりたいことって「好きなことしたい」なんじゃないのかな。違うのかな。

もし、「好きなことする」ためにお金が必要だから稼ごうとしてて、そのためにプロになろうとしてるんだったらば。

別にプロじゃなくても、好きなことができるなら、さきにプロになる必要ある? 単に今すぐそれをやればよくない?

って話。

どうでしょうか。

別に必ずしもプロにならなくてもいいですよね?

プロになる必要がないなら、売れるために自分のやりたいことを歪めなくてもいいよね?

好きなことをして稼ぐとは?

たしかにやりたいことをやった上で、さらに稼げるのなら嬉しい。だからといって、「稼ぎたいなら売れることを書け」っていうのは、違うんじゃないのかと思うわけですよ。

ことさら、「好きなことで生きよう!」と盛大にぶちあげておいて、その内容が「書きたいことじゃなく読んでもらえること書け」みたいなことだった日には!

そんなのはすでに「好きなこと」じゃなくなってるかもしれないとは思わないのか?

くどいようだが、売れるかどうかは買い手が決めるのであって、書いた人が書きたかったかどうかは購買の決定要因にならない。

だからこそ、必ずしも「好きなこと」と飯のタネを両立できるとは限らない現実もある。そんなことは、最初からみんな薄々わかってることじゃないですか。

にもかかわらず、それらを両立させるノウハウを教えると見せかけて、「好きなこと」を犠牲にするようなことをしゃあしゃあと言うなよ、と言いたい。強く言いたい。

結局、そういう人は「好きなことがしたい」よりも根本的な目的というか前提は「稼ぐ」だということかな?

「好きなことをして生きる」=「(できるかぎり好きそうなことの周辺で)稼ぐ」という解釈でOK?

所感

なんか前にも似たようなことを書いたことがあるデジャブ再び。

別にそんなノウハウをみたところで、単に「んっ、これはわたしには関係ないですね」と、スルーすればいいだけのことかもしれないのに。

よほどこの件にひっかかりがある模様。

わたしとしては、仮に「好きなことそれ自体」でたくさん稼いでいなくても、好きなことをして、(別途生活費は捻出しつつ)生きてさえいれば、充分に文字通り「好きなことをして(かつ)生きている」状態なのじゃないかと思うので。

もちろん、自分が好きなことを描くという前提で、なるべく多くの人に読んでもらえるようわかりやすく描こうとか、興味を引くように演出しようとは強く思っていますが。

「自分が描きたいことじゃなく、読者が読みたいものを描け」とは。

売れる商品を作らないといけない場面での心構えということなら納得しますが、「好きなことをして生きる」ための人生の指針としては受け入れがたい。

そういうことを言っている人とは、もう宗教が違うと思って、相手を尊重するためにも距離をおいたほうがいいのかもしれない。