自己表現としてのブログの原初的なあり方とは?

この前、脳機能学者であるところの苫米地英人博士のニコニコチャンネル動画を見ていたところ、衝撃的なことを聞きました。

たしか、音楽をやりたいがどうしたらいいかみたいなユーザーからの質問への回答の中で発せられた言葉だったと思いますが。

曰く。

「芸術は自己表現だから」「本人がうれしくて楽しくてノっているか、それが大事」「本人以外うれしくなくてもよい」

それを聞いて、なんかすごくクるものがあって。なぜかと言うと、photo credit: faith goble via photopin cc

ずっと、自分がうれしいだけなことをするのはわがままだと思っていた

わたしは絵を描きたかったり、歌をうたいたかったりしたのだけど、そういうことを一生懸命やることに、なにかずっと罪悪感があって。

なんか人の役に立つこととか、お金をいただけるレベルのこと以外は、価値が低いというか、大の大人がおおっぴらにやってはいけないことなのかとずっと思っていて。

でも、そう思っていること自体に気がついてもいなくて、なにかずっと悶々としていましたが、今ちょっとすっきりした!

芸術と商業性は関係がない

芸術は自己表現なのだから、本人が楽しければいい。」「カラオケで楽しく歌ってるのに、うまいとか下手とか関係がない。」

「ビジネスにしようというなら、いくらかうまい下手が関係するだろうが、そのあたり首をかしげたくなるレベルの歌手もいる。」

「モーツアルトも、実は貧困のなかで亡くなった。」「つまり偉大な芸術かどうかということは、商業性とは関係がない。」

「ビジネス、エンターテインメントの世界を見れば、芸能界、ハリウッド、ブロードウェイなどなど果てしない」「その中でどこを目指すのか。」

博士の場合は「自分が演奏して楽しい。そして、それを聞いて喜んでくれるお客がいるから、その人たちの前でステージをやっているだけ」「もし、だれも喜ばないのなら、家で演奏すればいい」というスタンス。

「商業的に成功しているアーティストの場合でも、芸術性(自分が楽しいと思うこと)は捨てていないと思う」

音楽そのものは、アートとしては、自分がどれだけ楽しいかから始まる

「まずは、自分がめちゃくちゃ楽しい音楽をやればいいと思うよ。」

と、最後にしめていて、「これだ!」と思ったよ。

なんか、むだにごちゃごちゃ考えずに、楽しんでいいんだ!と。

いいこというなあ。さすがだなあ。感動した。

あ、なんかうっかり、会員限定の有料放送のレビューをしてしまったけれど、たぶんこのくらいで目くじらを立てられるようなことはないと思うのですけど、えーと。

ご興味がわいた方は、「苫米地英人のハッピー脳メルマガ」をご覧下さい。たぶん、初月は過去動画も含め無料で見れる? 今だと、STAP細胞関連のネタも熱いです。ハーバード大学とかの学閥その他、トップの学者にしかわからない世界の話もあって面白かった。

さておき。

ようするに、わたしのやりたいことは「アート」なんだな、とわかりました。自分がうれしいことをやりたい、自分を表現したい!!

それが、他の人にも喜ばれる、うれしいというレベルになれなければ、「アーティスト」ではないけれど。

まず、「自分がうれしい」「自分が満足いく」というのが、一番大事。そこがぶれないようにこれからの人生を生きて行こうと思いました。

所感

というわけで、わたしはこのブログでも、とことん「自分が書きたいことを書く」ことを徹底していくことを誓います。

そう。「自己満足を第一とします!!」(笑

でも。

自分が満足するものを作るって、じつはけっこうそれはそれで難しいよね?

そして、消費者としての自分が満足するものができたなら、自分だけうれしくてほかに誰も喜ばない、というのはちょっと考えにくいのでは?

つまり「自己満足」って、世間でいわれてるほど悪いもんじゃないんじゃないの?

という視点をぶちあげていきたいと思います。

わたしは、自分が作ってるもので満足していないし、人を喜ばすレベルには達してないなあと思うけど(とくに歌)、

発展途上の人ががんばっている途中の成果物を自分のブログにあげているのは、コンテンツとしてはありだし、そういうブログを見ることは、わりと楽しいことなので、

これはこれであり!ということにして。

前に進もうと思います。はい。