今日は、自分のブログのタイトルの話をします。
そのあと、そういう話をいちいち「どうでもいいんじゃー」みたいに、かみつく人がいることに対してもの申したい。
はじめます。
Geecratについて
このブログタイトルは、オタクな意味の「geek」に「crat」(〜な人々、〜階層)という接尾辞を付けた造語でした。
造語だとよそと被らないし、ドメインとかとりやすいから。
あれ、でも。
てことは、雑に訳すと「オタク族」みたいなことになるのか? そう考えるとちょっとださいかも(笑。あらやだ。
で、とある師匠から「ギークラット」とカタカナで書くと、字面や響きがださいんじゃないかと言われ。
あれ、そうか?
その考えはなかったけど。
なるほど。
英国人の友人は、「ジー……」と読みそうになってたけど、Cool!っていってくれたから(お世辞かな)英語の字面は悪くはないと……思うんだけども。
まあ取得したドメインを放棄するつもりは今のところないから、これは前提として考える。
考える余地があるのは、読みや表記、副題について。
ふつう「ジー」と読むのなら「Gee!(驚きを表す感嘆詞)」+「crat」と捉えてもいいかなと思い。
もしかして、カタカナ的には「ジークラット」のほうがちょっとかっこいいか?
という可能性を考え、友達に聞いてみたらば
「ギークラットって、ギークなネズミかと思ってたwww」
「ジークラットだと、ジーク・ジオン的な何かを連想するからガノタ(←ガンオタ←ガンダムオタク)が、なんか思うかも」
「でも、まあギークラットよりはジークラットのほうが、まだかっこよさめな気はする」
とのことなので
とりあえずガンオタの方々へはあまり配慮せず、ジークラットと読むことにしてみよう!
と昨日決めてみました、ウェーイ!
という、誰の利益にもならないどうでもいい話。
どうでもいい話をするなという人々へ
そもそも世の中のことって大半がどうでもいいことじゃない?
でも、そんなのいちいち言及しようとは思わない。
結局他人が書いたブログにたいして「どうでもいいことを書くな!」とわざわざかみつく人は、むしろそれがその人にとって「どうでもよくなかった」のかもという逆説。
しかし、それは「ブサイクは俺の視界に入るな」と言ってるのと本質的に一緒なのでは。
他人にそこまで要求する権利は誰にもないと思うのだけど。
それに、わたしにとって「どうでもいいかどうか」という情報こそ、他人からは「どうでもいい」んじゃない?
と、虚空に向かって、あらかじめ反論に反論してからでないと雑談すらできない、面倒なメンタリティやこれいかに。
そして、「どうでもいいとかいちいち言うな」と思う行為自体が同じ罪を犯しているジレンマ。
あー、そうか。わかった。
そういうことを言う人は、「自分」の意見は他人にとってどうでもよくない、重要である、と思うから言うのかもしれないな。
そして実際、その人が「どうでもいい」と言ったこと自体をわたしがどうでもいいと思うなら流せばいいのに、流せなかったのは、わたしのほうでもその人を重要に思っていたからだった。
まあ、結局みんな好きなこと言う権利あるよね。(基本的人権の範囲内では)