ブログは人生を変える最終兵器なのかもしれないという仮説

ブログを苦もなく毎日更新できるようになりたいなーと思って

一記事あたり文字数制限を設定することにしたのが昨日。

(参照:ブログの更新が滞りがちになるのをどうにかするテスト

さっそくやってみてどうだったかを振り返ってみるよ。

文章を削ってみたらすっきりした

文字数を800-1200文字にしようとして、最終的に1500文字くらいになってしまったりはしたのだけれど、

それでも、結構削った。

書いたことを削るのはすこしもったいない気もしたけれど、その分言いたいことが伝わりやすくなったと思う。(当人比)

気分もすっきりした。

これはよい。

でも、まだうだうだしている。

それでもまだ、整理し切れていないというか、

リファインする余地が多分にある。

ありすぎる。

ようするに、頭の中が混乱しているからこうなるんだ。

いつもそうだ。

なんだろうこの既視感は…

わたしの悪癖?

そういえば、お片付けができないということでライフオーガナイザーのオオノさんにご相談した流れで、指摘されたことがあった。

それは、わたしの癖。

「アイデアや願望が後から後から湧いて出る。それは実行困難なほどの数と量である」

という。なんたる慧眼。

同じ理由で、ブログの記事にも、いいたいこと、思いついたことを、もりもりてんこ盛りにして、なんかぐちゃってなる。

あれも必要これも必要って思っていろいろ集めて、部屋もぐちゃってなる。

あれもやらなきゃこれもやらなきゃって思って、タスク管理もぐちゃってなる。

ついでに言うと、今まで、そしてこれからの人生でやろうとしてることにおいて、一番困難だと感じていることもそう。

結局自分の問題って、全部おなじところに端を発しているんじゃないか!!

ということは…

もし、ブログのポストを、いちいちぴしっと決めることができるようになれれば

それは、単にそのひとつの投稿が多少読みやすくなるということのみにとどまらず、その前段階として、そういうことができる思考回路を手に入れたということになるわけであるからして

そうしたらば、今自分の前に立ちはだかる壁は、すべて砕け散るんじゃないか?

これは…

もしや、起死回生の必殺技なのかも?

人生を変える最終奥義かも?

ま、そこまで大げさなもんじゃ無かったとしても?

自分が言いたいことを、きちんと自ら認識し

他人にとってもわかりやすく文章に書くことができるようになれれば

あらゆる場面において損はない。

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photo credit: laverrue via photopin cc

所感

ただ、昨日のあれでも一応、さくっとまとめようとはしてたんだよ。

やろうと思ってやってみてもいきなりはうまくできないね。

ひたすら、練習あるのみ! スね。