ある年、誕生日を迎えたわたしは、軽い落胆とともにこう思った。「さすがにこの年になったら、もう若くないよね…。」
しかし、その数ヶ月後、ひさしぶりに出会った人にこう言われて愕然とすることになる。
「えっ。急に老けたね。5〜10歳くらい年取ったように見える。どうしたの?」
馬鹿な。
特に何もしていないのに、数ヶ月でそんなに急速に老化するなんて。うそでしょ??
急激エイジングの原因とは
生活なども特に変えていない。となれば、思い当たることは一つだけ。
誕生日を境に、みずから「もう若くないな。」とあきらめ、「自分のことを若いと思うのをやめよう」と決めたこと。
いつまでも若作りをしてるのは見苦しいことかもしれないと思ったのだ。
たしかに、生物として老化は避けられないことだと思う。
だけど、たった数ヶ月でそこまで老け込まなくてもいいはずだった。
でも「自分はもう〜〜歳だから」と思った瞬間から、「〜〜歳」の状態(と自分で勝手に設定した状態)にアジャストされていったのだ。無意識に。確実に。
怖くなったわたしは、「自分はもう〜〜歳」と思うのをやめるようにしようと思った。
あのとき、あの人にはっきり老けたといってもらえて本当によかった。
美魔女が溢れている時代における平均値
思うに、人はだれしも「このぐらいの年代のひとは、こんなかんじ」というイメージを持っていると思う。
それは、その年代の人の「平均値」または「平均値であるとその人がイメージするもの」である。
現代における美魔女の代表みたいな女優の山咲千里さんは、16歳のころ36歳の役を老けメイクでこなしたときのエピソードとして、「今の36歳より老けていた」と語っていた。
彼女が16歳の時、「36歳はこのくらい」と世間が思っていたイメージは、現在の36歳のイメージより老けていたのだ。
かつての100m走9秒の壁について考えてみよう。いったん誰かが突破したら、「あ、もっと早く走ってもいいんだ」とみんなが思いはじめて、そのあとは壁でも何でもなくなった。
若さもある程度そんなようなモノなんだと思う。「このぐらいでもいいんだ」と思ったらそうなる。「もうだめだ。」と思ったらそうなる。
あきらめたらそこで試合終了ですよ(by安西先生@SLAM DUNK)
100m走と同様に、若さにも人体の限界はあるはずだけれど、それがどこかはまだ誰も知らないのだと思う。
それなら、どこまでいけるのか人体の限界に挑戦してもいいんじゃない? (山咲千里がんばれ!)
(↓これで50歳。)
ところで、あのさ、知ってる?
サザエさんって、たしか24くらいなんだよ。あの時代にはあの貫禄が24で標準だったんだよ。24なんて、今だったらギャルママだよね。びびるわ。
かくも恐ろしく、人は社会的な生き物であるが故に。
無意識に同調意識が働くのです。
みんながそうだったらそうなっちゃうの。それもかなり無意識に。
それはたしかに社会で生きていくのに必要な能力です。
でもさ。単に同じ時間軸あたりに生まれたという、ただそれだけの理由で、その人たちと同じ速度で老化していかなくてはならない、なんて法はないでしょ?
そこを、人に合わせる必要もメリットも何もなくない?
見苦しいほどの若作りはどうか? と思うとしても、わざわざ「もう〜〜歳」といって、みずからすすんで無駄に老け込まなくてもいいじゃん!
と
つよくつよくつよく思うんですよ。
というわけで、わたしは「無意識に」同調しないように「意識的に」注意しているわけです。
わたしが気をつけていること
そのために気をつけているのは、自分はもう年だからとかわざわざ思って自分の限界を決めないのと同時に、自分の年齢をむやみに公表しないこと。
だって、人というのは、相手のことを「このひとは〜〜歳」と思っていると、その人なりの「〜〜歳」と思うイメージ、枠組みから見るんですよ。
ぶっちゃけ「おばちゃんだな」と思う年代の人には「おばちゃん扱い」するようになる。それは自分相手でも他人相手でも。意識的にも無意識的にも。
年齢なんて、たんなる生まれた日からどのくらいたっているのかというただの数字にすぎないのに、そんな自分に責任のない数字によって、自分をアイデンティファイされたくないんだよ。
だいたい、おばちゃん扱いされたら、そのことによってセルフイメージが作られ、よりおばちゃん臭くなっていくわけですよ。すなわち! 枠組みが実像をも作りかえるわけです。
だから、自分の奥さんに老け込んでほしくなかったら「おばちゃん扱い」などしないほうがいい。
かわいい奥さんでいてほしいなら「かわいいもの扱い」するべきだよ。
(同様に、かっこいい旦那さんでいてほしかったら、「かっこいいもの扱い」するべき。)
ともあれ。
わたしは人の影響を受けやすいので。
自分が受けたくない影響を与えるような環境をなるべく避けるようにしている。
せめて、もうちょっと自分をしっかりもって他人の影響を抑えられるようになるまでは
多少神経質と思われようと、むだに年齢を公表しないように気をつけようとしているのです。
なので。できれば、すでに知っている人は、情報の取り扱いに注意してくれたらうれしいです(笑。
なぜにひとはfacebookがインターネットだということを忘れてしまうのか。
多分ブログだったら、書かないと思うのに、facebookには無造作に他人の個人情報も書いてしまうよね。
それともまさかわざとなのかなあ。まあ、わざとならどうしようもないかなあ…。うーん。
ここはちょっと乗り越えないと行けない壁かも。facebook便利なんだけどさあ。困ったものです…。
将来的なアンチエイジングにおけるビジョン
まあ、いつまでも「おばさん」ではないと強弁するのも心苦しくはあるものの
どうしても、世間に流布している「おばさん」という言葉によってイメージされる人物像に、なりたい自分の姿を見いだすことは難しく、
すくなくとも、こちらからそのカテゴリにすすんで入りたいという意思はさらさらないので
もし数字だけで、そこにカテゴライズされるとしたならば、全力で拒否したい所存。
それくらいならむしろ「おっさん」と思われた方がまだましというくらい。
心の中では「実際には(女だから)おっさんじゃないもん」と言い訳ができる気がするから(笑
というか、まあできれば「年齢」という枠組みで人を区別すること自体をやめない? といいたいのだけれど。まあどう思おうがおのおのの自由なわけで、そこはいかんともしがたいね。
独自の生物への進化
そんな、わたしの望みといえば。
美輪明宏とか、もう性別その他超越したような独自の生き物になりたいということ。
このカテゴリには、わたし的にはGACKTも入ってるんだけど(笑。
二人とも似ていないけど、それぞれ独自の生き物だと思っている。
といっても、別に男になりたいかそういうことではなくて。
ただ、女でそういう独自な生き物はいないよね? どうでしょうか。そしてなんでなんだろ。
そうそう、最近いまさらだけど「ふなっしー」がすきなの。
あんなすてきな(?)妖精になりたいね。「中の人など居ない!!」とかいって、元気にヘッドバンキングして、飛び跳ねて歌って踊って暮らす。
ふなっしー大好き!!
そうか。アンチエイジングの究極解はふなっしーということで!
え?
ではまたっ!