先日より「5分間で夢を叶えるプロジェクト」をはじめています。ただいまプロジェクト1(そして唐突に始まるプロジェクト001)の、放置サイトリニューアル。
しかし「やるぞ!」と思った次の日。すなわち今日。
案の定というか、すでに「やるぞ!」という高いモチベーションは驚くほどなくなっていました。それどころかすでに始める前から「なんかやりたくないな」と思う始末。
そうだよ。こんな風にやりたくなったり、やっぱりやりたくなくなったりという制御不能な気分の乱高下によって、このプロジェクトはいつまでも「やりたいことリスト」に居座り続けてきたのだよ。
始動にたちはだかるハードル
しかし、今回はいつもと同じことにはしない。せめてさらに一歩進めたい。
と思っていたら、おあつらえ向きの記事があった。(My Most Important Productivity Method : zen habits)
乱暴にまとめると、やりたいことを始められないのは「恐怖心」が原因、とのこと。
たしかにそうかもしれない。
そしてこのサイトにも対策はかかれてる。さらに乱暴にまとめると、大事なことを一個ずつやれってことだと思う。
だが、わたしの場合、それ以前にまずとりかかれないので、その対策をうってみた。
やりたいことをやろうとすると湧き上がる恐怖心への対策
まず、よく言われてそうな「恐怖にたちむかう」というのはエネルギーを消耗しそうである。実際、経験的にも消耗すると思う。これまでいく度もこの戦いには破れてきたため、すでに立ち向かおうとすること自体から恐怖である。却下。
「対決するのではなく、感情をだまって見つめる」などもよく聞く。これは精神安定という観点からはよかった。だが、時間を消耗する。そして実行時間が減ることによりあらたに罪悪感というものが生まれたりもする。却下。
次は受け入れる系。恐怖を忌避すべきものとしてではなく、当たり前の自分の中にあるものとして認める。
そのために、恐怖を得体の知れないものにするのではなく名前をつける。
たしか、「不安さん」とか「恐怖さん」とか擬人化して話し合うみたいなノウハウを見たことがあった。そんな風に呼んでみると、ちょっと楽しい感じがする。すぐできるし。使えるかもしれない。
すると、どうせそんな風に自分の感情を外部化するなら、もっと明確なビジュアルイメージや設定が欲しくなってきた(オタク的発想)。
(ここを掘り下げると話がそれすぎるので、この感情の擬人化についてはまた別途書きたい。)
ともあれ「恐怖」に対応するために、この感情に(かっこいい)名前(人名)をつけて外部化してみたら、なんとかとりかかることができた。万歳!
今日の進捗と次の作業
昨日書いたタスクのうち
- 必要な告知やアナウンスをまず行う
というのは、過去のユーザー対応経験のなかで、あまり楽しくない思い出が喚起されてしまって手がとまったので、そこはひとまずおいておいて
- すでに途中までやってあることをリマインドして続きの作業を探す
- 前回同じ作業をやったときの作業リストを呼び出してスケジューラに入れる
というのを行った。
厳密には、やる日付は決めてないので、スケジューラではなくてただのリストのほうがいいかなと思いworkflowyにまとめた。
また、リニューアルにあたってシステムを刷新するため、最新の開発環境についてリサーチし、使用するフレームワークを決めた。
geecrat.hatenablog.com
所感
今日の進捗といえば、「やりたくないときでも何とかとりくむ」「前やったところのおさらい」と「調査」くらいで、実質的には何か進んだという感じはしない。
一応「まずやりはじめる」ということができたのは、自分としては進歩といえる。そして多少は達成感もある。それが続けるためには重要なのかもしれない。
たったこれだけの作業でも「5分プロジェクト」と銘打ちながらも、5分でできているわけではない。なんだかんだで1〜2時間はたってしまう。けれど、最初からよし2時間やろう!とすると、まず始めることすらできないというのがミソ。
しかし、問題は……
こんな亀の歩みでもやってれば終わるかな?
ということにつきるわけだが……
まあ万一終わらなかったとしても、日々充実感や達成感を持って前進し続けられたのなら、それは価値があったと思う……
……ことができるだろうか、はたして。