最近、ブログ更新という新しいことを始めたので、自分の生活リズムや、その他もろもろに影響が出ています。いい意味も含めていろんな意味で。
また、今月は絵を習ったり、マンガのストーリーを習ったり、ブログ術を習ったり、手帳術を習ったり、半年以上休んでいた習い事(HIPHOPダンス)を復活させたりして、新しいことをたくさんインプットして、ちょっと頭の中がうわーってなってます。
〆切を伸ばした件
さて、わたくし、今月22日までに、同人誌を作ろうとしてたんですが、上記のたくさんのアクティビティにエネルギーを使いはたし。全然原稿が手につかなくて間に合わなかったので、10/3に〆切を伸ばしました。
ということを家の人に言ったら、
「どこまで伸びるんだ〆切」といわれたけど、もう伸びません。
いや、追加料金など払いまくれば、あと数日は伸ばせるかもだけど、それはしたくない。
なぜ予定どおりにいかないのか
毎回、早めの〆切を設定してそこに向かっているのに、なんでいつもギリギリになるんだろ〜。
というわけで、前に買った「なぜ、仕事が予定どおりに終わらないのか? ~「時間ない病」の特効薬!タスクシュート時間術」を読み直している。ためになるなー。
んー、もしかして本を読んでいる暇に、作業したほうがいいんじゃないの?
と、セルフツッコミ。
イグザクトリー! というわけで、本を紹介するだけしといて、まさかのレビューなしですよ。(いつか書きたいけど)
でもね。ほんと、なんでこういつもギリギリになるのかなーって。
いつも思う。
そして変な思い込みを見つけた
そこで、発見してしまった真実。
「よーし今回は、前倒しで作業進めるぞー!」(「いや、絶対無理」:心の声)
という感じで、「やるぞ」という表面の思いと、「無理」という心の奥底の思いと、両方が干渉しあっていたということ。
またか。
また「できない」と思い込んでいたから、とか、そういう、いつもと同じ理由なのか。
そして、〆切直前になると、心の声が(何が何でもやり遂げるぞ with 悲壮感)に変わって、そうするとできるようになる。
たぶん、「楽をするのは悪い事」「楽しいのは悪いこと」という思いから、「ギリギリでつらい」という状況をわざわざ作って、自分を罰していたのかもしれない。という仮説。
「できない自分」というセルフイメージを壊さないようにしたかったのかもしれない。
そうしたら、もしかして「できない自分」と思うのをやめたら、意外とすいすい進んだりするんちゃうかな?
現にギリギリでも、一応できてはいるんだしさ。仮に、進まなかったとしても、少なくとも「だめだー」と凹む苦しみだけはなくなるわけだし。別にそんなこと思わなくていいんじゃないの。うん、そうだよ。
マンガを描くのに体力は必要か
そういえば、先日、自分のこれからやりたいことについて発表する機会があって、「マンガを描きたいので、その前提として、体力をつけたい」と言ったら
「え、マンガ描くのに体力必要なの?」と言われてしまって驚いた。
ちょっと目からウロコだった。
まー、たしかに。少年ジャンプの連載作家のタイムテーブルを見たら、一日数時間睡眠以外ほとんどマンガを描いているようなことになっていて、それをずーーーっと長年続けると考えたら、そりゃー体力もいるだろうと思う。
でもわたしは、そんなことできない!と思ったから、そもそもそういうタイムテーブルでやろうともしてないわけだし。
自分がマンガを描くときには、今の自分でも「きちんと取り組みさえすれば」できるだろうというスケジュールにしてあるはずなので、(もしかして、それでもまだキャパシティオーバーになっているのかもしれないとしても、それは自分で調節すればいいだけ)
ほんとうは、体力がないままの自分でも、〆切前に死にそうにならなくても、できてもおかしくないんじゃないのか。
なんか、もしかして体力がないせいにしてたかもしれない。
まー、実際体力はないんだけども。
体力がない、とは?
いや。
あるいは、「体力がない」ということすらも、もしかしたらただの思い込みで「じつはある」と思い込んだら、もっと元気でてきたりするなんてこともあるだろうか。はたして。
そういえば、はるか昔、小学生の時は、元気はつらつだった。
そして、「なんでこんなに風邪すらもひかずに元気いっぱいなんだろう。ぜんぜん休めない。もっと病弱だったら、はかなげで美しいのに。」
とか、へんなことを考えていた。
たぶん、マンガで病弱な守ってあげたくなる美少女というようなステレオタイプのキャラクターを見て、「いいな」と思ったのかもしれない。
強すぎて、元気すぎると、可愛がってもらえない!と思っていたような気がする。
たしかに今。すぐつかれてぐったりして、弱っていると、家の人にはやさしくしてもらえるようになった。
もしかして、これが、夢が叶ったということなのか。
だけれども。やさしくしてもらえるところはいいとして。
体弱いのなんて、なってみたら全然よくないね! ほんとに全然よくない!! 元気な方がいいにきまってる!
なんで、元気だと可愛がってもらえないと思ったんだろう!
ていうか、たんにうちの親がかわいがってくれない人だっただけで、元気だから悪いはずなどはない。
ほんと。
愛情に飢えていたんだなあ。かわいそう(自己憐憫)。あわれなり。
そして、なんという見当違い。あほやん。
思考実験を開始します
というわけで。また新しい、へんな思い込みを見つけてしまいました。
「体が弱い方がかっこいい」「美しい」「儚くて守ってあげたくなる、そんな人になりたい」みたいな考えはもう捨てます。
そんなことを思っていたら、老後まで乗り切れなさそうだよ。
今は、断固として、死ぬまで元気に動ける人になりたいよ!
あと、「余裕を持って入稿してもいい」「楽しくマンガを描いてもいい」という風にも、考えを変えます。
以上。今わたしが体が弱いのは、幼い頃にそれを望んだからだという仮説を立ててみた。そして、今から考えを変えたら、それだけで元気になったとしたら、すごいなーと思うから、実験してみるよ。
今後のわたしの元気度合いを見ててください(笑