自分の「好き」を阻害する思い込みを捨てた話

ブログを毎日書くようになってから、ふつうに暮らしている中で「あ、これブログに書こう」みたいに思う事が増えました。

でも、問題は、いざノートブックを開いてブログを書こうとしたときに、思いついていた事を一切覚えていないことです!(笑

まあ、今そのときに思いついたことを書くことにしているので、とりあえずこれでいいんですけども。なんだかちょっと惜しい気も。

マンガ=悪い?

あ、そういえば、最近発見したことを思い出したので書きます。

ありがちかもしれないんですけども。わたし、じつはマンガのことをすごく悪いものだと思い込んでました。

しかも、思い込んでいる事にも気づいていなくて、表面的にはマンガ大好き!と人にもいってきてましたが、なんとなくいつも少しの後ろめたさもあったのです。

じつは

マンガ=悪い事
勉強=いい事

仕事=いいこと
遊び=悪い事

みたいに、無意識で思っていたのでした。

ゆがんだ仕事観

あと、

仕事=嫌な事を我慢すること
好きな事=遊び。仕事をきちんとやったあとでないとやってはいけない。

みたいなことも思ってました。これは、なんとなく多くの人も同じ事を思っていそう。

それらのことが、全部、無意識に埋め込まれてました。

なので、「好きを仕事にする」ということを聞くと、「いいな」と思うのですが

好きな事=マンガ=遊び=悪い事=やってはいけない
仕事=いいこと=やるべき=我慢=いやなこと

という図式があるので、その思い込みのままで両者ををくっつけようとすると、頭の中が矛盾だらけで混乱。「好き」に向かおうとしても、同時に「やってはいけない」みたいな相反する思いも生まれて、ものすごく苦しい。

いつもぐちゃぐちゃ、うだうだ、ぐるぐるして、時間だけが過ぎていました。

無意識に埋め込まれた無力感

加えて「自分には何もできない」「自分は仕事ができない」「社会人になんかなれっこない」

みたいなことも強く思っていました。

実際には、就職氷河期に、ろくに就活もせずに就職できたり、募集していないのに仕事を頼まれたりしていたのにもかかわらず。

どう見ても、実態よりも思い込みの方が間違っているのに、無意識で思い込んでいる事って、その存在に気づいてもいないがゆえに、消えないんですよね。

だめな自分から抜け出そうとして、いろいろ勉強したり、スキルを身につけたりして、能力をあげても無駄。実際にはできること、できるようになったこと、やったことがあることですら、やっぱり「できない」って無意識の思いのほうが強くて

そしてその信念はじわじわ現実を蝕んで、結局信じていることを実現させてしまうのですよ。

あー、怖い。

今やるべきこと

そんなわたしが、今とりくむべきことは、新しく何かを始めるとか、何かを身につけるとか、何かを企画するとかではなくて、まずはそういうよくわからない変な思い込みをどんどん捨てることだなーと。しみじみ思いました。

あとは、目の前のことをきちんとやっていく。

今までやっていたことをきっちりやりきって、ひとつずつけりをつけること。

改めてマンガ愛

だったら何って思われるかもしれないですけれども、

わたし、本当にマンガが大好きみたいなんですよね。

マンガを読んでいるときの集中力とかやばいし。当たり前のように、毎月何十冊もマンガを読んでいたみたいで、一回数えたらびっくりしました。

でも、ずっとそれを内心「悪い事してる」「やってはいけない」と思ってたんですよね。

好きな事をやって、楽しい事をしてるのに、勝手に自分で自分を罰して、勝手に辛くなってました。変な思い込み本当に怖い。まーその思い込みも例によって親からきてるんですけども。

昭和の「マンガ=罪悪」観を捨てる

親としてはマンガばかり読んだらバカになるという短絡思考だったのでしょう。

今の時代の親はあんまりそういうこと言わなそうですね。わたしが子どもの頃は、うちの親だけでなく、時代的にそういう風潮だったのかなと思います。

たんに「うちの子がマンガばっかり読んで」ってことだとかっこ悪いから嫌だっていうだけかな。

結局、マンガを読んだり好きだったりしたらいけない理由っていうのが、何の根拠もなく、くだらない世間体だったことがわかったので、このいらない価値観は、今日限り捨てる事にします。

えーい! ぽーい!!

今までありがとう!とかひとつもない。

ほんとに邪魔にしかなってなかった価値観よ、永遠にさようなら!