わたしは絵を描くのが好き。マンガが好き。
それから歌が好き。
しかし、もし、こどもがこれらの分野を仕事にしたいと言ったら、親や先生はなんて言うだろう。多くの大人は「そんなものでは食えん」と言うんじゃないだろうか。
まあ、わたしが、「きっとそう言われるんだろうなあ」と勝手に思って、やさぐれてただけかもしれないけれど。
今日は、そんなやさぐれて大人になった人間の今の心境をつづりたい。
絵師の誤算「仕事は依頼しやすさがすべてという視点」
先日ブログで、「もっと絵が上手くなりたいぞうー」と叫んでいたら
とある尊敬するブロガー&作家さまから、
自分は絵が描けないので、一定水準を越えていればそれ以上「うまいかどうか」というのは、問題ではなくて、仕事になるかどうかはどれだけ「依頼しやすいか」にのみ依存する
という主旨の助言をいただき、目を覚まさせられました。
「絵がうまくなりたい」というのは、自分の表現として納得のいくものが作りたいという、良くいえばアーティストとしての欲求でしょう。
でも、お客さんは必ずしも「うまさ」は求めていないかもしれない、という視点。
その作家さんの立場なら、自分のサイトや本の挿絵や説明のためのコミックみたいなものを描いてもらいたいのかもしれない。
その場合、そういうものを「依頼しやすい」ことが大事。
別の場面で、アニメーターならおそらく「早さ」が求められているかもしれない。
もちろん「絵のうまさ」が求められている場面もあると思う。
ようするに、仕事というのは、他の人のニーズを満たしてお金をもらうことだから。
自分が、他の人のニーズをどういう風にみたせるのか? ということを適切に、適切な相手に、わかりやすく伝えなくてはならない。
相手の求めていることを理解し、それを提供できるということを示す。
それが仕事を得る前提になる。
絵で生きていこうと思ったら(別に絵に限らず)、単に絵が描けるということだけでは足りなくて、その能力を他の人に対してどう活かすかを、(本来的には)自ら見いださなくてはならない。
マンガ家、アニメーター、イラストレーターなど、職業として名前がついているものは、多少は「どう役立てるか」ということが既存のレールとして敷かれている部分もある。
ただ、そのレールにどうやって載るのかはなんとなく曖昧で、載ること自体もなかなか難しそうに見える。
大学をでて、就活して会社に入る、というレールに比べたら、載った後もすぐ脱線しそうだし不安定にも見えるかもしれない。
こどもの安定した将来を望む親には、なるべくやめてもらいたい進路なのかもしれない。
というわけで、自分は早々に、そっちに行こうとするのをやめてしまったのだった。ふつうに大学にいって、というほうができそうに見えたから。
既存のレールに乗るということ
仕事にするには、自分が「(プロの水準で)できること」と「それにお金を払う人がいること」の両方の条件をみたさないといけない。
会社員になる、というのはもはや以前ほど安定しているようには見えない身分ではあるけれども、マネタイズするフローがすでにできあがっているという点においては、いったんそのシステムにはまれば、そこはそれ以上考えなくてすむので楽なのである。
仕事というのは、理想的には「やりたいこと」「できること」「人から求められていること」が合致しているのが幸せなんだと思う。
でも、とくに「やりたいこと」を合致させるというあたり、「そんなの無理だよね」と思われがちである。それは、みんな「どうマネタイズするか」を自分自身でクリエイトすることを避けているからではないかと思う。
わたし自身、最初から取り組もうともしていなかった。
それで、会社にはいったり、フリーになった後も「人からやれといわれたこと」を一生懸命やって、疲れはてて
いつか「やりたいこと」をやって生きていきたい!とか吠えてた。
それで、やっと「人から言われたこと」じゃなくて、自分で「やりたいこと」できるかもしれない、という状態になってみて気づいたこと。
やっぱり結局、一番最初に、考えるのを放棄して逃げてきた「他者とのニーズとのすりあわせ」に直面することになっているという。
なんだったんだ一体。
あとでやろう? ちょっと待て、人生はそんなに長くないかもしれない
「あとでやろう」と思っていることは、ほんとうにそれをやる気があるなら、
それをやらないと一生後悔すると思うなら、
「あとで」じゃなくて、可能な限り、早く、必死で、一生懸命、それをやったほうがいいよ。
と、思った。
さもなければ、一生あきらめるか、どっちかだ。
わたしはどうする?
いつかあきらめるときが来るかもしれないが、それは今ではない。と思う。
自分が今何歳でも。
客観的にはもう若くないという年であろうがなかろうが。
自分の人生において、一番若いのは今。
例の流行語「いつやるか。今でしょ」を体現するしかない、と思う。
昔の私は結果を急ぎすぎてた。
急ぎすぎるあまり、すぐに焦れて「ああ、もうだめ!」と投げて。それで進歩が遅れたと思う。
たとえ亀の歩みでも、歩き続ければ良かったのに。自分がうさぎじゃないことに苛ついて、なんでうさぎみたいに早く走れないんだよ!!と自分を責めていらいらしていただけだった。
そういえば、GACKTが、言ってた。
意外なことに、彼にも覚えが悪くて、人よりできるようになるのに時間がかかることがあったらしく。
でも、人が6時間でできることを、自分は12時間かかるとして、だったら24時間やってやるよ!って。
そしたら、そいつの二倍すすむだろうって。
結局、人生、その人が何をどれだけの熱量でどれだけやってきたかということなんだよね。
GACKTかっこいい。
というわけで(?)わたしは歌と絵は練習するよ。
あと、それらの活かし方もまじめに考え中。
今練習中の歌。2曲はこちら。
歌ってみた↓
音程があわないです;; サビがシャウト系なのにハイトーンだし。AメロBメロも地味に音程とりづらいです。
でもなんか曲に表現されている世界観がクるので、もっとちゃんと歌えるようになるまで練習する。
どうやったら音程があうんだよ!!
歌ってみた↓
こっちはチャレンジ2回目。まだ微妙。 ラップはまだまだ。とくに後半がんばりましょう。
音程こい!!!
最近喉が腫れてしまい、あまり歌がうたえぬ;;;(苦。たぶん無理したらだめだよね? あうあうあう。
所感
そういえば、昨日DAMのカラオケアプリ、iphoneでダウンロードしててきとうにいくつか歌ってみた。最近は、アプリで採点までできるんだね! すごい!!
3~4曲いれてみたところ、だいたい90点前後であった。
このくらいだったら、いちおう素人が友達とカラオケに行って下手で恥ずかしいというほどではないと思うんだけど。録音して、冷静に聞いてみると、うえの通り鑑賞に堪えうるレベルではまだない。
うまくなって何がしたいってわけじゃないんだけど。
ただ、その曲を声で表現したいと思うんだ。その曲を通じて、自分の何かを表現したいと思うんだ。
実際、それがマネタイズできなかったとしても、自分で思うものが表現できたら、それが自分の人生の満足だと思う。
だったら趣味でやればいいって話になるのか、なんなのかわからないけれど。
なんでもかんでもマネタイズできないものは価値がないように思うのも、ある種の洗脳なのかもしれないとも思いつつ。
現時点で、自分は歌が歌いたいわけで。それで歌ってるわけで。
とりあえず、そこはそれでいいと思う。少なくとも現時点では。