ブログを続ける技術「何のためにブログを書くのか」を考察する

2014年のはじめくらいからこのブログをはじめて、ブログにも愛着がわいてきた今日この頃。

だんだんブログを書くのに慣れてきたとも思うんですよ。

なのに最近は、前より更新頻度が落ちてしまっています。

何でだ!

一応毎日「書こう」とはしてるんですよ。これでも。

セミナーレポートなど、途中まで書いてあるものもあるし。

なのに…。ホワイ?

課題の発見「なぜブログ更新頻度が落ちているのか?」

考えられる原因は、色々思いついたりはするんですけども

そもそも「なぜできないのか?」というのは良くない質問ですね。

できない言い訳ばかり出てきてしまって意味がない。

気がする。

けど。

いや、それも思い込みか? 一回全部洗い出してもいいのかも?

ふむ。

と、いま思いついたことはあとでやるとして。

ひとつ自分でめちゃくちゃ「いつものダメパターンだ」と思いあたることがあるので、そこについて今日は考えてみたいと思います。

できなくなるいつものパターンとは「もっとうまくやろうとして時間がかかる」

さっきブログに慣れてきたと言いました。そして、多分最初より少しうまく書けるようになった気もしてるんです。

でも、うまくなったら、ほかの「いいな」と思うブログみたいに「もっと良くしたい」「もっとうまくなりたい」と思っちゃうわけですよ。

で、遅くなった。

これ絵を描くときも同じでした。

以前にも「完璧主義」ということについて考察したことがあったのですが、また同じようなところでつまずいてますね。

もっとよくしたいと思ってぐだぐだしてる間に、時間だけがどんどん過ぎてしまう。

解決策として、無理に「早くやる」ということを試したりもしたけれど

無理に早くしようとしたとしても、それが自分のやりたい事じゃない場合には、我慢してやることになり、根本的に続かないんです。

ダイエットと一緒ですね。「食べたい」のに我慢しつづけるのは続かない

とくに、ブログってやらなくても基本的に、他の人に迷惑がかかるといった類いのものではないし。

「食べたいのに食べない」のではなくて、そもそも「太るほどたくさん食べたい!と思わない自分になる」

を目指さないと。

解決策を見つけるために:目的を改めて見直してみる

というわけで。

無理をしないならどうするかっていうと。

そもそもブログは、なんで更新頻度をあげないといけないのかなっていうところから見つめてみようじゃないか。

頻度が低いと何がよくないか。
検索結果に掲載されにくくなるとか。つまりは書いたものがあまり人に見てもらえない。

とりあえず。さらに掘り下げて考えてみる。

書いたブログが人に見てもらえないと、何が困る?

人気ブロガーになれないとか? あまつさえそれで収入を得て暮らすなんてできないとか?

そもそもそんな風になりたいのか? うん、できるもんならそりゃなりたいかもしれない。

けど、絶対なるぞというほどの気概もない。

よね。今。

ないならしょうがない。無理にあるふりをしようとしても空回るだけ。

つまり、現状。別に人が見なくても、困りはしないんだ。

ただ、ちょっと寂しい、くらいかな。

ほら、一生懸命しゃべっても誰も聞いてくれなかったら、虚しいような気がするじゃないですか。うん。

それなら、誰にどんな話を聞いてもらいたいのか?

うーん。そこだ。そこが曖昧なのかもしれない。

実際に誰かと会うときには、相手のまったく興味のない話はしない。しても盛り上がらないし、人に合わせると思うんだ。でも、ブログだと目の前に相手がいないので、どう合わせていいのかちょっとわからなくなっていた。

それは、たとえば「ブログで儲けてやるぞ!」というようなところを目指しているわけじゃないなら、別に正解はないんだよね。

自分がどうしたいのかということだけ。

何の制約もなく、自分のスキにしていい、と言われると意外とどうしたらいいかわからなくなってしまうものだよね。

でもその自由を放棄して、だれかの、あるいは何かのノウハウのいいなりになってブログを運営するなんて、それだけは絶対にいやだ!

じゃあ自分としてはどうしたいのか?

突き詰めて考えると、結局自分はただ話を聞いてもらいたいだけかもしれない。

その時々で自分の興味のあることを、特に話題を限定せずに話したい。そして、それを相手にも喜んでもらえたら一番うれしい。

でもそんなの熱心に聞いてくれるのは親友しかいないよね。と思ってた。

ブログの読者は親友じゃないんだし、と勝手に遠慮してた。

でも、そうやって決めつけなくてもよかったのかも? 親友に話をするようにブログを書いて何で悪い?

それは、ブログノウハウで、ブロガーはスキな事ではなくて、役に立つ事を書け、といわれていたのを見たことによる。

たしかに自分が見知らぬ人のブログを読むときに、相手のパーソナリティを、いちいち気にしたりはしないかもしれないけれども。

とくに調べ物をしていたら、答えが乗っていれば用は足りる訳で。

でも、それだけじゃなくて、やっぱりこのブログスキだなあとかあるじゃん。

役に立つからスキになるということだってあるけど。役に立たなくてもスキになるかもしれないし。役に立ってもスキじゃないかもしれないし。

ようするに、スキか嫌いかと役に立つかどうかって別の問題じゃない?

なんかスキだなと思ったら、役に立たなくてもまた見るよ。

わたしは、ブログ役立ちましたーよりは、なんかこれスキと言われたほうがうれしいもん。両方だとそりゃもっといいけど。でも毎回役にたたなきゃ!と気張ると苦しくなるんだよ。

それに、お前なんか興味ねーから役に立つ知識だけ教えてくれよという人がいたとして、そういう人のために何か役に立つことを書いてあげようと思えますか。そういう人を想定してブログを書くなんて苦痛すぎるよ。

役に立つ事こそ、好きな人に教えてあげたいもん。

というところで、じゃあそれをこのブログのコンセプトにしたらいいんじゃないの?

「自分がそのときに興味のある事を」「親友に話すように話す」

という。

わたしが興味ある話をしてるのを見て、「なんだそれ。興味ねー」というひとは、読者にならないだけであるのだから。それでいいよ。

全員から好かれる事はできないと、あきらめる事だって大事。

そうやって、八方美人になろうとしているから、ブログを書けなくなってたんだよ。

所感

ブログの効用としては、自分の考えを言葉にして、文章にまとめることで自身を見つめ直すができる、ということも大いにあると思う。

ふだんは、いろいろ考えているようで、実はかなり考えが拡散していて収束する方向にはなかなか向かわない。

でもなにか価値あるアウトプットを生み出そうとしたら、必然的に脳内の考えを一定の方向性に収束させていかなくてはならない。

社会人として、曲がりなりにも幾ばくかの経験は積んできて、プレゼンとかもそれなりにできていたつもりだったのだけれど

自分自身が、自分の内的必然性に従って、何かを形にするということが、今までどうにもうまく出来てこなかった。

ブログはそのための訓練の場としてちょうどいいかもしれない。

「やりたいことをいろいろやってみる」
「最近何をやっているのか」
「何が興味があるのか」

について親友に伝える。

いずれは親友以外の人にも説得力があるようなプレゼンができたらいいけれど。

最初は仲のいい人に聞いてもらうというハードルの低いところから始めてもいいのではないか。

そういうスタンスで、自分自身の物語を面白いコンテンツにしたい。

結局、自分は何のためにそれをするのか。心から同意できる目的があるというのが、続けるために必須なのではと思う。

そこが、曖昧だと何だか力が拡散してうまく発揮できない。

というわけで。

あらためてブログの立ち位置を見直したところで、根本的には当初のコンセプトと、そこまでずれているわけではないことにほっとしつつ。

これで、あらたにこのスタンスをリマインドする事で、更新頻度を上げられるかなあと期待するのでありました。