完璧主義者の憂鬱

わたしは、自分のことを完璧主義者だとはぜんぜん思わないのだが、人からそう言われることはたまにある。

昨日「自分の好きなことがうまくできなくてつらいときの処方箋」というエントリを書いているときに、「完璧主義」という言葉を使ったので、関連してもう少し掘り下げて書いてみたい。

そもそも完璧主義とはなにか? 完璧主義でダメだと言われたらどうしたらいのか? について、おもに考えてみた。

photo credit: AlphaTangoBravo / Adam Baker via photopin cc

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完璧主義とは単なる評価尺度のずれ

完璧主義の本質とは、ようするに、その事柄に対する「要求水準」が人とずれているということにつきると思う。

そのずれ方が、人の要求水準より高い場合、他の人からは「いや、べつにそこまでしなくても」と見えるので「完璧主義」と言われる。

一方、要求水準が低いというずれかたもあるわけで。その場合、本人的には「これくらいでいいだろう」と思っていることも、他の人から「いや、それはだめだ」とみなされるので、無能扱いになるとか、それはそれでつらいことがあるだろう。

どちらも、水準が人と違うという点においては同じじゃないかと思うのだが、なにやらまったく別の物のように扱われていることは少し不思議だ。

もっとも完璧主義者が、ときに完璧を求めるあまり〆切までに仕事を仕上げられなかったりして、結果的に「無能」と呼ばれることも、ままあるわけだが。

完璧主義者の苦悩の源

完璧主義者は、自分の水準をクリアできない自分が許せない。しかもその設定水準は人から賛同されていない。つまり、苦しみに共感されない。

これらのことから、「完璧主義をやめたいんですけど、どうしたらいいでしょう」というような悩みが生じる。

たしかに、完璧主義者は人より要求水準が高いので、その水準を満たす事がより難しくなりがちだ。

だが、考えてみれば、別に水準が高くなくても、それを満たせない場合、苦しいことに変わりはない。

人が楽々と出来る水準のことを、自分だけがなかなかできないということだってある。そのような場合のほうがよほどつらいのではないだろうか。

つまり、これは、「自分が思う通りにできない」ことがつらさの原因であって、べつに完璧主義者固有のつらさではない

つまり完璧主義のつらさの本質は完璧主義それ自体にはない

もし、完璧主義者が、そのつらさをすべて解消できたとしたら、理想的な状態とはどのような状態だろうか。

(1)自分がこれでいいと思う基準に
(2)他人の賛同が得られ
(3)かつ、その基準を自分が満たす事が出来て

結果として、自他ともに、「よかったね」となることが、パーフェクトに望ましい事態だろう。

すなわち、完璧主義者がつらさを解消しようと思ったら

(1)基準が人と違う事に起因するつらさ
(2)基準を自分が満たせないつらさ

を解決する必要がある。

だが、もう一度言うがこれらは、べつに「完璧主義」固有の問題ではない

「完璧主義をやめろ」といわれて、やめようとしても解決しないわけである。

そこを悩んでも無駄であると思う。

というところで、もうけっこうしゃべってしまったので、解決策は次のエントリに持ち越します。

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