目を背けていたところをちゃんとみようと思った話

先週から「夢を叶えるブログ術」ということで、自分は何になりたいのか、夢について考えている。

そして、6〜7月の、自分を表現するための歌のレッスンを受ける中で、ふと「わたしは、自分でないものになろうとしていたんだ」と気がついたことを思い出した。

そう、わたしはずっと自分が嫌いで、常に「自分以外のもの」になろうとしていたんだった。

You are what you are…

自分以外のものになるために、やみくもに本を読んだり、新しい技術を身につけようとしたり、習い事をしたりしていた。

それで、学んだこともたくさんあるし、多少は進歩できたと思う。

でも、当たり前のことながら、どれだけ変わっても、仮に別人のようになっても、それが「いまのわたし」であって、自分以外のものになったわけではなく、新しい自分もまた自分でしかない。

なんというか、「そんなの当たり前でしょ」という書き方しかできなくてもどかしい。

すべてを台無しにする前提

昨日のブログを書いて初めて気がついて驚いたのだけれども。

よく考えたら、わたしはずっと「好きなこと」を仕事にしていたんじゃないか。学生時代の家庭教師も塾講師も、ゲーム会社の編集バイトも、プログラマもウェブ制作も、ゲームイラストも。全部好きだった。

たしかに、仕事をしていれば、問題もあるし、辛いこともある。でも、それは好きを仕事にしたらなくなるというようなものじゃない。

会社でプログラマをしていたときは、忙しすぎて他のことが何もできなくなるのでいやだ!と思っていたけれど、プログラムは好きだった。そしてその延長でフリーランスでプログラムやwebを作っていた時も、やはり忙しくなるとつらいと思っていたけれど、それも全部働き方の問題で、やっていることが嫌いというような種類のことではなかった。

忙しさの問題ならば、フリーランスなんだったら、自分で望む働き方ができるように主体的に手を打てばよかったんじゃないか。そういう観点から見ようとしさえすれば、そのためにどうしたらいいのか、ちゃんと自分の中からアイディアもでてくる。

なのに「自分の全部がダメ」と思っていたから、問題が何かを見ようともせず、「とにかくダメにきまっている」という焦燥感でいっぱいで、「どうしたらいいの!」と本やセミナーなど、自分以外のところに助けを求めていた。

でも、かりに人によいことを教えてもらっても、無意識では「自分にはできない」とあらかじめ思いこんで、そうと決めつけている以上、そんなのどうにかなるわけがない。

かりに何か改善しても、「ダメ」という前提で探せば、次から次へとダメなところが見つかる。

こわい。なんなの自分。

「好きを仕事にしたい!』といいつつ、同時に「そんなことできるわけがない!』と強力に思い込んで、こうすればできるという道や、すでにできている部分を無意識に見ないようにしていたのだった。

「無理」「自分は全部ダメ」みたいな前提で生きていたら、「夢を叶える」「好きなことをする」以前の問題なのかもしれない。

できるとしたらどうする?

結局。

まずは、自分が「わたしはこれをやります」ということを出せばいい。自分で、何をしたいのか、決めればよかったんだよな。

自分が何をやりたいかではなくて頼まれたことをメニューにすべきという起業アドバイスをみたことがあるけれど、それだと「やりたいこと」じゃなくて「できることで稼げること」になる。もちろん「稼ぐ」が第一プライオリティならば、そうするとうまくいきやすいとは思う。

でもわたしは、いまは「稼ぐ」より「やりたいこと」のプライオリティをあげたいと思っている。

そのためには、自分は何が目的なのか、何を目指しているのか、やってみて「これじゃない」と試行錯誤する時間はもうあまりないと思う。目指してるところをちゃんと見据えていくことが大事だと思った。

で? どうする? 何をやっていくつもりなのか? ということを明確にしたい。フルスロットルで考え中。