話はひとつずつ決着をつけていこうと思った話

こんばんは永理です。

過去記事をたまたま読んだらわかりにくかった

先日ブログを書いたときに、タグやカテゴリを設定したところ、ブログ(Wordpress)のシステムにより、類似する過去記事が表示されました。

昔はどんなことを書いていたのだろうと、何気なくクリックしてみました。それは、当時考えたことが雑多に書き連ねてある記事でした。全体的に何がいいたいのか明瞭であるか否か、という観点から見ると、われながら少々わかりにくいなと思いました。

それは独自の連想で次々とトピックが移り変わるから

ひとつのことを書いているうちに、何かがトリガーとなって脳内回路が発火したのでしょう。連想された別のアイディアにつぎつぎと脈絡なくトピックがうつっていくのです。

それは過去の自分にとっては自然な連想の流れだったのかもしれません。しかし、もはやその脳内回路は消滅したのか、今となっては自分から見ても突然飛躍しているように感じられたのでした。

自分は脳内スケッチとして楽しめるが、読者から見てどうか

それがだめなことかというと、自分としては、たとえ多少意味不明でも「過去の自分はこんな感じだったのか」と、それなりにおもしろさを感じることはできました。

とはいえ、他人である読者に、同様の好意を期待するのは、いささか求めすぎというものでしょうか。ひとりよがりのそしりを免れないかもしれません。

そこで、では、これからはどうしようか。考えました。

脳内の着想や心象風景を文章化する脳内スケッチのようなことは、これからもやっていきたい。けれど、読者に過度な負担を与えるのも本意ではありません。

脳内の着想のネットワークは、必ずしも合理的であったり、他人に対しても説得力があるものとは限りません。それをそのまま書くだけでは、脈絡がないように見えてしまいます。

わかりやすい対象の切り出し方を意識するべし

仮に、AとBという事象が、その瞬間のわたしの脳内ネットワークで密接に結びついているとしても、他人や、あるいは未来の自分から見たら、関係が薄い場合もあります。

独自の連想経路は各人の個性なので、他人から見て無関係なつながりが存在すること自体が悪いわけではないと思います。ただ、ブログに書く場合には、AとBは別物として書くほうがわかりやすい。

つまり、一つのアイディアについて書き始めたら、別のアイディアに飛躍してしまう前に「とまれ」です。ひとつのトピックごとに、それぞれ決着をつけて、その都度記事を終わらせるようにすれば、おそらくわかりやすくなることでしょう。

そのためには、AからBへの連想が、独自の経路=ショートカットとして用意されているのは、自分の脳内だけかもしれないということを、客観的に認識できるメタ認知の視点が必要ということになります。

ちなみにこの元ネタとなった「よくわからんな」と自分で思った記事は「バレンタインの独り言。初音ミクとか跡部景吾とかボカロ音楽とか。」でした。まあ、タイトルからして雑多だしね。この時よりは、すこしわかりやすく書けるようになったかな?