さいきん文庫化された「ゆるく考えよう 人生を100倍ラクにする思考法 (文庫ぎんが堂)」を読んでいます。
わたしはぐるぐる無駄に考えて、ただ考えることだけで疲れ果てたりしがちなので、
「人生を100倍ラクにする思考法」という副題にすごくひかれました。
人気社会派ブログ筆者による「毎日を楽しく生きるための極意」
著者のちきりんさんは、月間150万ページビューの人気ブログ「Chikirinの日記」を運営されてます。
ちきりん、というハンドルネームだけで、顔も出さずプライバシーも最小限しか公開せず、それでも人気なのは純粋にコンテンツがよいのでしょうね。すごい。
でも、わたしから見ると、え、これがそんなに「ゆるい」のかな? とかも思ったり…。
でも、最初に
目標は低く持ちましょう
といわれてびっくりしました。
かの脳機能学者、苫米地英人博士は「目標はあり得ないほど高く持て」と言ってるので、そこだけ見ると主張がまさに真逆なわけですが
ちきりんさんご本人は、高い目標を持たないように、「多大な努力が必要そうに見えること」をさけてきたらしいです。
とか言うわりには、アメリカ留学してMBAもとって外資系に転職されてたりするので、それをがんばらなくてもできるのって、すげえよとか思うんですけど。
わたしだったら、MBAなんて結構がんばらないとできなそうだし、むしろがんばってもできないかもしれないし(笑。
そういう人が目標を低く持ったらどうなっちゃうんだろうという疑問。
ただ
できる限り長い時間を自分の好きなことに使って過ごしたい
とも言っているので。
人から見てがんばってるように見えても、本人的にはそうでもないってことなのかな?
そういうこともたしかにあると思うし。そういえば
「こどもが徹夜でゲームしてても、よくがんばったね」って言わないでしょう、それは好きでやっているだけ。イチローだって、タイガーウッズだってそう。
みたいなことが、苫米地氏の本に書いてあったんですけれど。
たしかに、わたしも独りでカラオケに行って、2時間からさらに1時間延長して帰っても、まだ足りぬ!とか思って、そのあともさらに家で歌いつづけてたりするし。
考えてみたら嫌いなことだったら、ひとりで四時間以上も歌い続けられないよね、きっと。
うん、これなら本人的には別にがんばっていない。
むしろもっと歌いたいぐらいだ。さすがに喉が痛くなるので、ある程度でやめざるを得ないというような(あるいは近所迷惑というような)。
そして、別に目標はない。
ないけれど。
うーん、「うまくなりたい」とかはある?
でも、本当に好きなことだったら「できなそうだからやらない」というのはないよなあ。
最終的にできなかったら悲しくなるとは思うけれど、でもやると思う。
それぐらい、自然にみずからがんばらなくてもやりたいことと、周りの人の役に立つこと(=仕事)が一致してたら、それは本当に理想だよね。
なんとかならんかね。
まあ、何とかするのは自分しかいないんだけど。
ちきりんさんは
世間で言われる「あるべき論」も、ちょっとだけゆるく解釈すればいいじゃないか。
とも言っていて。
問題はこの、「ちょっとだけ」が、どのくらいゆるくてもいいのかってことなんだよなあ。
ちょっと、勝間和代さんとこのちきりんさんの対談『変化の時代の乗り切り方』を見てた。
動画によると「ゆるく(だらだら)生きよう」ということではなくて、ゆるく「考えよう」ということで(笑
本来は「がんばりたくもない」ことを、「がんばらないといけない」と洗脳されていませんか? というサジェッションのようです。
勝間和代さんは、「がんばらなくてもできる」ようにするために「しくみ化」しよう、ということらしい。
ゆるく考えよう 人生を100倍ラクにする思考法 (文庫ぎんが堂)
所感
最近、昨日のブログで書いた「頭と心のオーガナイズ」なども影響して、日々頭の中が組変わっている感があり、組変わり中でごたごたしてて、はっきり「こうだ」というのがないのが気持ち悪かったりもするんですが。
そういえば、もともと「だれか絶対正しい人を探して、その人の言うことを聞く(聞こうとする)」という生き方だったので、じつは今まで本当の意味で、自分から選んで責任を持って大事なことに対処してこなかったというだけなのかもしれません。
困ったものですわ。
まさか、そんな情けない大人になっているとは。しかもそれに今頃気がついた。
というかんじでまだ、そんなにいろいろクリアではないのですが、おそらく進んできている大筋の方向性はだいたい良さそうな気がしてます。
そういえば最近は、ご飯つくりながら歌うたってる間に徐々に音程もあってきたしね。
自分の人生にもチューニングあわしていかないと、ちょっとやばいですね。がんばる。