おもしろいブログを書くための方法論を学ぶ唯一の方法

たとえば「ブログは自分が書きたいことを書くのではなく、読者が読みたいことを書くべき」という方法論がある。

それを見たとき「まあ、そうなんだろうけど…」とちょっともにょっとした。

それは…

そうはいっても、やっぱり書きたいことを書きたいよ、と思ったから。

なので、ブログを数日にわたって書きたいように書いてみた。

そうしたら、自分でも自分のブログを読んで、ここは読みにくいなあと思ったり、ここはわかりにくいなあと感じることがあった。

それではじめて、「もっとこうしたほうがいいな」という気持ちがわいた。自発的に「そうしたい」と思うことができた。

たとえば、具体的には

  1. あまり内容をつめこまない(できれば1エントリ1アイディア)
  2. 適当な長さの文章で(長すぎると読むのが疲れる)
  3. ひらがなと漢字の割合を考えて

などなど。

すでに発見されている法則でもみずから再発見することには意義があると思う

これらは、たぶん今までいろんな人が言ってることと同じだ。

ただ、これらを自分でやってみて、「やっぱりこれは必要だな」とみずから気づくプロセスが必要なのだと思った。その手間は決して無駄ではない。

わたしは自分の人生を納得して生きたい。それには「なるほど、そうか」という手応えが必要なんだと思う。

人生の充実度は「なるほど」の数で決まるのでは?

それは、数学の方程式みたいなものではないだろうか。方程式はショートカットだ。過去の天才が一生かけて発見したようなものを、後から生まれたわたしたちは、かんたんに利用できる。

だが、方程式を丸暗記して機械的にあてはめるだけではおもしろくない。最初は、なぜその法則がなりたつのか、方程式の証明プロセスをトレースするなどして、「なるほどそういうことか」と納得してから利用するほうがいい。

ブログも、ひいては人生も同じで、人が発見したことを、無批判に方程式としてただ単純にあてはめるだけのようなやりかたではつまらないと思う。

なぜそうするのか納得していないと結局実行できなかったりもする

こうしたほうがいいよーと、事前に教えてもらったとおりに、ただやろうとしても、うまくできないこともよくある。

何でそれが必要なのか、どうしてそういうやりかたがいいのかわかっていないからだったりもする。

そして、数学の新しい方程式を発見するのは容易ではないが、自分の人生において「もっとこうしたほうがいいんじゃないか」というくらいのちょっとしたハックを思いつくのは、やろうと思えばできることだ。

そうやって自分で思いついた工夫を実践して、自分の人生に良い変化を起こせたと感じるとき、大きな満足を感じる。

やってみて、「やはり先人がこうしたほうがいい」と言ってたことはそのとおりだなあと、納得することもあり、それもまた喜ばしい。

「使える知識」はみずからの実践の中にこそあるのでは

人から言われたことの丸のみではなく、自分自身の必要性やモチベーションにもとづいて実践した経験の中で身につけたものだけが、自分にとって「使える知識」なのだと思う。

こういう言い方は、あたりまえのことにしか聞こえないけれど、「聞くのとやるのと大違い」「やってみないとわからないこと」はまだまだたくさんあるのだなあと思う。

すべてのことをいちいち納得するまで体験しているわけにはもいかないかもしれないけれど、自分にとって大事なことにはきちんとむきあって、ひとつずつみずからつかんでいきたい。

おもしろいブログを書くための方法論を学ぶ唯一の方法は、自分でやってみること。

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