「メガネを外した素顔は美少女」という幻想から覚めたら…

「文は人なり」と昔からいわれているが、それならば「ブログも人なり」ということになる。

実際に数日ブログを書いてみて、自分でブログを読み返してみるに、たしかに良くも悪くも自分らしいなあと思った。

ブログを続けるには自分をさらけだす勇気が必要?

一記事がぐだぐだ長くて要領を得ないところなどは、人生でなすべきことを見失っている自分の生き様が現れているようで、なんだかいたたまれない気がして、隠れてしまいたい衝動にすらかられた。

そこまで自己嫌悪に陥るほどのことは書いてないようにも思う一方で、自分の考えごときを、潜在的には多くの人の目に触れうるところにおいておくこと自体、何というか、とてつもなく大それた、やってはいけないことをしているような気もしてきたり。

これはなんだろう。自分をさらけ出すことに大変な抵抗を覚える。今まではこの抵抗に負けて、ブログを何度も続けられなくなったのかなあと思う。

メガネを外したら美少女!?という幻想

そういえば、子どもの頃からとても目が悪かったので、いつも分厚いメガネをかけていた。当時は子供用にはかわいらしいフレームなどあまりなくて、というよりレンズが分厚すぎるため、今でもフレームの選択肢はあまりないわけだが、ともあれ、いわゆるビン底メガネというのは光の屈折により、とても目が小さく見えるものである。

そこで、目も小さくて、我ながら不細工だなあと常々がっかりしていたものだった。しかし、メガネっ娘がメガネをはずすと美少女になる、というようなマンガを読んだあとは、何となく「わたしもメガネをとったらもう少し目も大きくなるはずだし、もしかして美人かもしれない」などとぼんやり夢想していた。裸眼では自分の素顔が全く見えなかっため、真実を知らなかったのだった。

残酷な真実に直面…

後に高校生となり、念願のコンタクトレンズを買ってもらってはじめて、メガネをかけない自分の顔を知り、そこで夢は破れることになる。一応、目を覆うほどの不細工でもなかったが、期待したほどの美貌でもなかった。単にふつうの範疇だっただけなのだけれど、そんな自分の現状にとりあえずがっかりしたりはしたのだった(笑。

ただ真実を知る前には「自分は不細工」という卑屈な態度をとっていた(と思う)。そんなふうに不要に自分を悪く思おうとするのは、ある種の自己防衛だったと思う。素顔を自分で知らないので「ほんとうは美人かもしれない」という幻想の中に生きることができたし、「自分不細工ですから」のような態度でいれば「かわいこぶってる」とか悪口を言われなくてすむのじゃないかと期待していた。

今思えば、不要な「不細工アピール」自体が十分うざいのだけど(笑)、自意識過剰な中学生のやっていたことなので、大目に見てあげたい。

気づきたくなかった本当の自分とは何か?

そしてそれから**年たった今、精神的にはそのうざい中学生と同じことをしていることに気づいて再び愕然としている。

今わたしは自分のブログを見て、なんというか軽くがっかりしたり、自己嫌悪に陥ったりしていて、そのこと自体にも「なんだこれは」と思っているところ。

今度は、「ほんとうの」自分に一体何を期待していたのかすら、何なのかよくわからない有様である。

それに、今ここにいる自分以外に「ほんとうの自分」なんてどこにもいないってことぐらい、十分わかっているつもりだったのに。

現実をしっかり見て歩こう

自分の素顔を知っていればこそ、それを活かす化粧や髪型を研究したり工夫することができる。同様に、自分の内面にもしっかり向き合い、客観的に把握することができれば、自分の活かし方も自ずと見えてくるというものでしょう。

今までは過剰に自己卑下をしがちだった。それは自分の高が知れてしまうのが怖かったからだったのかもしれない。そうやって本当の自分を見ないようにしてきた。だけど、いい加減そんな思春期は通り過ぎたい。厨二病は駆逐する!(笑

そんなふうに思った今日。今のわたしに自分から送る言葉はこれ。

逃げじゃダメだ…。
by 碇シンジ(新世紀エヴァンゲリオンより)

ちゃんと現実を見よう。

ということに、気づけたのはブログを始めたおかげです。
とりあえずそこはよかった! ということにしたい。

nigenai