自己表現することへの恐怖に対峙した話

ここ数日、好き勝手にブログを書いてみて感じたこと、それは「好きにする」ということに慣れていないな、ということ。

「いや、うそやん、かなり好き勝手に生きてるやん。」

と、思った人もいるかもしれませんし、そんなふうに見えている部分が、はたからは多いかもしれないという自覚もあります。

それは多分もともと、自由で、よくいえばアーティストタイプの性格なんだろうと思います。無意識レベルでやってることは、そういう系統な気がする。

そして、親はそんな自由なこどもの姿を見て「こんなことでは生きていけない」と思ったのでしょう。親が思う正しい姿に矯正しようとかなり頑張りました。

結果、ある部分はかなり歪められて、もともと持っているものとは相いれなくなり、それは、わたしに大いなる精神的苦痛を長い間もたらしてきました。

いま、少しずつ本来あった位置に戻しているところです。

あ、そういえば、話は少しそれますが、このブログで頻繁に親との確執を書いたので、読んでくれた方に「自分もこどもに悪いことをしたかもしれない。どうしよう」という不安を与えてしまったようでした。

別にそういうつもりではなかったので、申し訳ない気持ちにもなりつつ、もし、自分のこどもに「あのときあんなことをして悪かった」と思うことがあるのなら、それはお子さんに話してあげてほしいです。

いまさら、とか親のプライドとかは無しにして。もし、何かがお子さんのトラウマになっていたとしたら、解消できるなら早いうちにしたほうがお互いのためにもよいのではないでしょうか。と、わたしは思います。

で、話戻ります。

前書いたように、死ぬほど作文を直されたトラウマからか、「好きなことを書いてはいけない」みたいな意見には、ものすごく過敏に反応する一方で、同時にそれらの「こうすればいい」というルールを破ることにも大変な恐怖を感じていたようでした。過敏な反応は、恐怖心の裏返しでした。

自分の考えや感じたことを正直に書くのはものすごく怖いです。

もしかして、親にトラウマを植え付けられていなくても、怖いことなのかな? あんまりそういうことを言っている人を見たことはないのですが。拒絶される恐怖ということなのでしょうか。

また、ブログで、感じたことを書くのも怖いのですが、マンガで自分の創作したお話を描くのはもっと怖いです。

でも、それがやりたいんだと思います。

これまで、怖さに尻込みして、うじうじすることで、多大な時間やエネルギーを無駄にはしながらも、必死でしがみついて、少しずつでも表現を積み重ねてきました。

ブログと同じように、書いていくうちに少しずつ慣れてはきます。ただ、あともう少しこの恐怖のハードルを下げて、無駄なエネルギーを減らしたいなーと思っているところです。

今日は、「自己表現したいのに、ぐずぐずしてしまうのは、批判を恐れすぎて尻込みしていたからだ!」ということに、ふと気がついて「おおー!」と思ったので、発見した喜びを記念に記しました。

「それでどう解決するんだ!」という具体策はまだありませんが、問題点とその原因のひとつを明確に認識できたということ自体により、なんらかの変化は生まれるのかなあという期待を持っています。

後日、どうなったかを書いてみますね(覚えていたら)

ブログで毎日自分の心をモニタリングすることで、徐々に、恐怖心を和らげる効果もあると感じています。