自省するツールとしてのブログ活用〜日常の小さい感情の起伏を見つめてみる

こんばんは!永理です。

客観的に見てあきらかにどうでもいいことなのに、どうしても凹んでしまうことはありませんか?

わたしは、さっきアイナナ(音ゲー)をやろうと思って起動したら、攻略中のイベントが終了してて、もう遊べなくなっていたのを見て、とてもがっかりしました。

スポンサーリンク
BASE

ブログは自分を省みるツールである

ほんと、べつに客観的にみてどうでもいいことですよね。

そこまで楽しみにしてたのかと言われてもよくわからないんですが、イベントが終わっているのを見てしまった時

「あああーーー。なんでちゃんと終了日時を確認しておかなかったんだあああああ」

というはげしい自責の念にとらわれました。

そのあと、なんだかずっと胸がモヤモヤしています、

うーん。胸が。くるしい。

なので、そのモヤモヤをどうにかできないかしらと思って、ブログに書くことにしました。

これは自分に固有の現象なのか?

まあ、好きなスポーツで贔屓のチームが負けたといって機嫌が悪くなる人もいるし、漫画やアニメで好きなキャラに不幸があったら凹む人もいるし(あっ、それ自分にもあるわ)

きっと、みんなにもあるよね?!

ないかな。

で。

ふと思ったんだけども。

そういうときに子供がなんかしらしでかしたら、ここぞとばかりに爆発したりするんじゃないかなと。うちには子供がいないので爆発できないけども。

もしかして、うちの親が意味不明なことでイライラしたり、やつあたりみたいなことを言ってきてたのって、そういう、どうでもいいことから生じる、日常の小さなイライラやモヤモヤを自分で解消できなかったからなんじゃないだろうか。

という仮説。

みたいなことを考えたけれど、もう本人が他界してるから検証できない。

どうやら、わたしという人間は、まだまだ、どうにかして自分の親がなにゆえあのような存在であったのかについて探求したいらしい。

無意味な自己嫌悪をやめたい

などなど、つらつら書いていたら少し心が落ち着いてきたけれども。

こんなことくらいで、いちいち「はあ、もうだめだ俺」と、自己嫌悪に陥るの、ほんと自分で意味わからん。どんなことでも口実を見つけて自分に文句をつけないと気が済まないのであろうか。そんなことしてたら、「生きてるだけで罪」みたいだよ。

ゲームクリアできなくても、別に誰にも迷惑かけてないし、悪いことしてないやん。そんな罪悪感いらんやん。

まあ、自分で決めた(?)ことが達成できなかったという意味では残念かもやけども。それはもっと大事なことに対して感じるべきことであって。息抜きのゲームくらい、隙間時間でできる範囲で遊べばいいのに。

ゲーム内イベントなどは、運営会社が利益のために、手を変え品を変え、定期的に開催しているものであって、そのスケジュールに自分の人生を左右させるほどの重きを置かなくてもいいんじゃない。うん。

と、自分を説得しているところ。

めんどくさいな、俺。

とりあえず、トリガーのナナコレが欲しかったんだ。そうだ。楽さまのカードをURにしたかったんだ!

が、まあもう終わったものは仕方ないから、次のイベントのときがんばろうぜ。

ドンマイ。俺。

よし、ちょっと元気出た。

スポンサーリンク
BASE