逆算手帳で人生の目標を模索している話

昨日は「逆算手帳」の手帳オフ会、というか夕食を食べながら、お互いの手帳を見せ合おう!という会でした。

ご飯美味しかった。

そして、たまたま、GYAKUSAN株式会社のCOO徳本昌大さんの隣で、わたしの逆算手帳のライフビジョン(夢マップみたいなやつ)を見せたら、深い言葉をいただきました。

なんのために英語を勉強したいのかを問われて

「なんか英語がペラペラが夢って書いてあるけど、本当に目指したいアーティスト活動にどういう関係があるの?」

 

考えてみたら、まあ結局、「ペラペラだったらちょっとかっこいいよな」っていうだけでした。

そして、それは夢じゃないのか。ないのかもしれない。

そういえば、学歴とかも、高かったらちょっとかっこいいかなっていう感じでしたね。

たったそれだけのために!

それだけのために!

人生において、けっこうな量のエネルギーを投入してきたわけで、それによって得たものが「ちょっとかっこいいかな」ぐらいなもんというのは。

なんなんでしょうか。わたしの人生って。

これからの人生も同じことをしていくのかということを問われました。

うわああ。

気楽に、「わたしのゆめはー英語ペラペーラ」と思ったままだったら、同じパターンまっしぐらだったのかも。こわいこわいこわい。

まあ。でも、英語は、できるようになったら楽しいし嬉しいと思うから、ようするに単に娯楽としてやればいいのかな。

でも、もっと、まっすぐ本質に向かっていけるようになりたい。

しかし、わたしにとっての本質ってなんだ?

個人における夢とは?

究極的には、夢なんてものは本人が嬉しいかどうかにつきるのではと思ったりもした。

だって、べつにその辺の女の人がダイエットに成功して理想の体型になったからといって、あるいはたとえば、フルマラソンを走りきったからといって、それがなんなの?っていうと、おおむね本人が嬉しいだけだよね?

もちろん成し遂げたことの質が高かったら、自分以外も嬉しかったりするだろうから、「自分が嬉しい」かつ「社会に貢献する」が両立するだろうけど。

そこまでの高みに達するかどうかは、やってみたあとの結果論になってしまうので。

それに、たとえオリンピック選手のだれかが金メダルをとったからといって、世界新記録をだしたからといって、そこまでわかりやすい客観的偉業だとしても、わたし個人の主観としては「わりとどっちでもいい」ことなわけであって。

ただ、人が嬉しくなっていたり、夢を叶えていたりするのをみたら「よかったね」とは思うから。そうやって夢を叶えて嬉しい人ばっかりの世界になったら素晴らしいと思うから。

ようは自分が嬉しかったらいいんじゃないのかな。たんに、自分が「嬉しがっていること」自体だけでも、微妙に世界に貢献しているんだと思ってもいいんじゃないかな。

によって。社会的意義がどうこういうことはさておき、まずは「お前は何が嬉しいんだ!」というところをはっきりさせればいいのかしらん。

「なんか脇道に逸れまくってるね」って言われて、めちゃくちゃその自覚がありまくりだったので、むむむーーってなってるところです。