「すごくない」自分と折り合いをつける話

前にも書いたけれど、「すごい」ものにならないと自分には価値がないと思っていた。

でも、最近気がついた。

その「すごい」は、遠くにあるからすごく見えるのであって、それを自分が持っていたら、もう「すごい」とは自分では思えないというものなのかもしれない。

たとえば、フィギュアスケートの神業でも、「すごい」というのは、それは見ている方からの話で、あるいは他にできる人が少ないという、集団との比較の中でうまれる概念であり、

やっている本人からしたら、まあ「ふつう」ではないかもしれないにせよ、「まあ、あたりまえにできるよね」ということだ。何度もやったことがあることを、いちいち「すっっげーーーーーー」と思ったりはしないんじゃないかな、多分。まあ、そんな世界的に大それた「すごいこと」は成し遂げたことがないので、そういう人々の心境はわからないけれど。

でも、他の人から「すごいね」と言ってもらえることが、自分にとっては「べつに」ということはよくあるし、それはわたしだけではなくて、みんなもそうらしいので。

そういう意味では、自分で自分を「すごい」と思えなくても、それはむしろふつうのことであって、嘆く必要はないんだなと思った。

別にすごくならなくてもいいし。

万一まれに「俺SUGEEEEE!」みたいに思えることがあったとしても、それは一瞬だけのことなので、そんなものをつねに追い求めることはなかったんだなと思った。

なので、自分ができたことや、やりとげたことを人から「イイネ!」されたとして、自分にとっては、別にあんまりよくないなと思ってたとしても、そこで、謙遜してる風にぐちゃぐちゃ言ったり、思ったりするのもやめよーと思った。

とりあえずねー、がんばって絵を書いたり、何かを作っても、〆切がないといつまでも気に入らず完成しないし、〆切だからしかたなく提出したとしても、まだ気に入らないところばっかりなんだよね。

まあ。

それは、そういうものなのかもしれないと割り切って。

その時点では、自分の力はそのくらいだったのだということにして。

次に進むしかない。

アイキャッチ画像も昨日やっと、とりあえず完成ということにした絵なのだけれども。すでに気に入らないからなあ。

そういえば、自分の絵が大好き!といってた方に以前あったことがあるので、その方の心境にいつか至れるのか、自分にとってそっちの方向性があってるのかなどについては、まだ今後も検討していきたい。

今日のところはこの辺で!