恐怖の世界は終焉した。” Hello, world ! “

昨晩、夢を見た。

カフェで、パンケーキとスクランブルエッグのモーニングセットを食べていた。けっこうなボリュームだった。

しかし、なぜだろう、しばらく席を外して、テーブルに戻ると、皿がすっかり片付けられてしまっていた。まだ一口くらいしか食べていなかったというのに。

こんな調子で、以前から、「食事をもらえない」「奪われる」、しかも「周りの人はだれも助けてくれない」という感じの夢をよく見る。

泣き叫んでいることもある。ちょっとした悪夢だ。

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悪夢の背景

以前は、そうした場面には、母や祖母がよく登場していたものだ。

一応いっておくと、現実的に親から食事をもらえなかったことはなく、むしろ太るほど「食え」と推奨されていたのだが、「理不尽を強いられる」ことの象徴としてか、「自分だけ食事がない」というような仕打ちは、夢の中ではよく受けていた。

しかし、最近は親のトラウマがだいぶ解消できてきたからか、夢でも親の要素が消えていた。

悪夢も心境にあわせて変化するのだなあと思うとおもしろい。

それでも、未だ根本的に世界に対する信頼感がなかったのだろう。「理不尽に食べ物を奪われる」、「恐怖」のような要素は、依然として残ったままだった。

そういえば、最近セルフヒーリングの瞑想をしているときにも、恐怖をベースに生きていることに気がつかされていたのだった。

親世代の恐怖に支配された世界観

祖母の時代は戦争もあって、「食べ物がない」というのはリアルだし、死の恐怖が隣り合わせということもあっただろう。

その世代に育てられた母は、世界を「恐ろしいもの」と捉えていたかもしれない。それもあながち間違いではない時期も生きてきたはずだ。

また、戦中戦後の乏しい食料を、自分は我慢してでも我が子に与えることは、愛にほかならなかったと思う。

この世代の人々は「子どもがたくさん食べること」=「いいこと」と盲目的に信じている節がある。

しかし、その世界観はしだいに現実にそぐわなくなっていき、飽食の現代においては、食事は節制すべきものとなった。

それでも「食べろ食べろ」と、太るほど食べさせるのは、もはや愛よりも「食べ物が足りない」という恐怖が動機になっていたのかもしれないと思う。

恐怖の中からは見えない本当の望み

そういえば、漫画家の水木シゲル氏が、「戦争が終わって、やっと自分も漫画家になれるかもしれないと思った」と言っていたことを思い出す。

たしかに、「敵が攻めてくるかもしれない」「殺されるかもしれない」「食べ物がない」という時に、「マンガを描こう」とは思えないだろう。

恐怖に満ちた世界では、まず「生きる」「自分を守る」ことが第一義になるから、そんなときに「好きなこと」もへったくれもない。

わたしは無意識のうちに、親から恐怖の世界観を引き継いでいたがゆえに、ずっと得体の知れない恐怖の中で生きてきてしまったんだと思った。

それなりに「やりたいこと」をやって生きてきたつもりだったけれど、それらは残念ながら、本当の意味で「やりたいこと」ではなかったのかもしれない。

根本的に「恐怖から逃れたい」という、「恐怖」をベースに「やること」を決めていたからだ。

マズローの欲求五段階説にもあるとおり、低次の安全欲求が満たされなければ、真の「自己実現」などできないものだろう。

はたしてわたしの生きてきた世界は、わたしがずっと怯えていたほどに、恐ろしいところだったのだろうか。

恐怖の世界の終焉

結局、これまで、どうやら恐怖を動機として、ほとんどすべての事柄を選んできてしまったらしいことに、なんとはなしに気がついてみて、呆然とした。

その観点から見てみると、自分の悩んでいた色々な問題も全部つながってしまったのだった。

片付けられない。捨てられない、やめられない、きめられない、そんなことどものすべてにおいて、根っこに「恐怖心」があったことに気づく。

怖くて仕方がないから、自分を守ろうとして、新しいスキルを求めたり、賢くなろうとしたり、見栄えをよくしようとしたり、人から好かれようとしたり、そのために色々勉強したり、ものを買ったり、習ったりした。それが自己実現だと思っていたけれども、違った。それはただ自分を守る剣であり、鎧だった。

もしも、世界がもっと安全だったならば、自分を守るために絶対必要だと、後生大事に持ち続けてきた鎧などは無用だったかもしれない。やみくもに剣をふりまわして人を傷つけてきたこともあったかもしれない。

混乱して具合が悪くなり、日中からベッドに潜り込んだ。

平日に昼寝とはけっこうな身分だ。すでにわたしは十分に安全で幸せなはずだった。

Hello, World!

そして、目覚めたときには、ほんの少しすっきりとした気分で、ほんの少し何かが変わったような気がしていた。

ふと、プログラマとしてはおなじみの、新しい言語を覚えるときに必ず見かけるサンプルコードが脳裏に浮かんだ。

 > Hello, world!

「こんにちは、世界」

何かあたらしい世界に生まれたような気分になっていた。

はたしてこれからのわたしは、「恐怖」をベースとしない世界観で、リアルに対峙していけるだろうか?

誕生月に際し、どこかすこしは、あたらしい自分にリニューアルできただろうか?

ちょっとだけ、楽しみでわくわくした心持ちになっていた。

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