永理です。こんばんは。
インフルエンザは治ってきましたが、全身に倦怠感が残っていてまだちゃんと活動できない感じです。
でも、元気になってから、準備が万全になってから、満を持して重要事に臨もう!という心構えでは、いつになったらその時がくるのかわからないよなーと思う今日この頃。
とりあえずでもいいからできることをやっていこうというつもりで何とかブログを書いています。
まずやるべきことをやれという教えについて
こどもの頃は「やることをきちんとやってから遊びなさい」とよく言われ、無批判にそういうものだと思い込んできました。
そうこうしてるうちに、あっという間にこの歳ですが、しかし一体いつになったら「やること」が「ちゃんと」終わってやりたいことができるのでしょうか。そんな日はいつかくるんでしょうか。いや、きっと。たぶん来ないのではないでしょうか。
かりに宿題が終わっていても、「遊んでいる」ことにいい顔はされず、常に罪悪感が拭えなかった気がします。「遊ばない」に越したことはない、そんな雰囲気でした。
「アリとキリギリス」のアリは幸せか?
アリとキリギリスの寓話を思い出します。はたしてあの教訓は真理でしょうか。アリは、本当に冬に報われているのでしょうか。
いつかは歌ったり踊ったりしたい、と思いながらも、まずは十分な蓄えをしてから、とあと回しにしている間に、老いてダンスをする体力もなくなり、声もしわがれて歌えなくなってしまったのだとしたらどうでしょうか。
刹那的、享楽的に生きることを推奨するつもりはないけれど、今まで「まず、先にやらなくてはいけない」と思い込んでいたことどもは、本当に自分の人生における最優先課題であったのか? 改めて考えてみても良さそうです。
で、どうしたいの?
そんなわけで今年はもう少し、「今やりたいこと」のほうに寄せて行動を選んで行こうかなと思っています。
時代の流れ的にも、おのおのが「自分はどう生きたいのか」を見つめ直す時期に来ている感じがしています。
わたしたちは今まで、あまりにも人の言うことに従うのに慣れすぎてしまってはいないでしょうか。
思い起こせば、親や上司などの権威に、納得いかないことを押し付けられては怒っていたくせに、わざわざお金を払ってまでも、「自分は何をすべきか」「どうすべきか」を習いに行ったりしてしまいがちだった気がします。
人の意見を参考にすることはよいけれど、まず「自分はどうしたいのか」という「自分軸」が必要でした。
もう少し、自分の人生における主体性を取り戻し、地に足をつけて生きていけたらいいなあ、と2018年の初頭に思うのでした。