幸せを表現する語彙を多く持たないという現状からの未来

こんにちは。永理です。 突然ですが。最近、メンタルの調子がいいんですね。何でなのかとか、そのために何をしたのかは今回の主旨ではないので別の機会に書くとして、ハッピーになってあらためて発見したことを書きます。

つらいことばかりブログに吐き出していた結果

発見:ハッピーだとブログが書けない。 はい? 今までだって更新頻度が低かっただろうって? それは否めない事実ですが、まあ待て。書けない理由が違うから。 さてわたくし。昔のブログを見てもらえばわかるとおり、これまでずっと「毒親だ」と言って家族を恨んだり、自己否定ばかりして生きてきました。基本的に、その状態がデフォルト。 何とかして自己否定から逃れたい一心でした。だから、取り組んできたことの多くは、今思えば「マイナスから逃れたい」という動機でおこなっていました。 「なぜわたしはこんなに苦しいのだろう」「どうやったらこの苦しみから逃れられるのだろう」と、そんなことばかり考えては、ひたすら文章にも綴ってきたのでした。 そんなことをしていたら、人から「文章がうまいね!」と言われることもよくあるようになりました。うまいかどうかはさておき、つらいつらい自分の思いを言葉にするということはできるようになっていました。

しかしハッピーを表現できない

最近、よい心の状態で、友だちから、とてもうれしいことを言われて、返事をしようとしたとき、そのうれしさ、感謝の言葉を表現する「言葉がでてこない」ことに驚きました。 つらい気持ちや、やるせない気持ち、理不尽な事件などは、あんなにすらすらと、上手に表現できたというのに。 このうれしさを、ありがたさを! すばらしさを! 表現する語彙を、手段を、わたしは持っていない!! 衝撃をうけました。 まあ。ふつうに考えて、たくさんやってきたことはうまくできて、あんまりやってきていないことはうまくできないですよね。うん。 そういうことか! そういうことなのか!!!

自己否定を脱却するためには、素晴らしさを表現しよう

自己否定とは自分のあらさがしをすることです。一生懸命あらさがしをして、それを分析して言語化する。そればっかりをやってきた。たしかに改善のためには、そういうことも必要という面はあるけれど、これはうつになるわ。 ひるがえって、いいところについて表現しようとしたとき、「いいね」「すごいね」「すてき」「おもしろい」など、小学生の作文みたいな言葉しかでてこなかった!! これまで、いかにそっち方面に考えが及んでいなかったのかと。 驚きましたよ。 そういえば、以前、感動した同人誌の作者に感想を言いたくて、でも「よかったです。萌えました」くらいの表現しかうかばなくて、情けなかった。そんな歯がゆさを思い出したりもしました。 「どこがどうよかったのか」「何がどうなって感動したのか」など、もっともっと、あのあらさがしをしていた執拗さで分析して表現していこう!と思いました。 そうして、わたしのブログを、表現を、もっとハッピーで満たすのだ! すなわち、わたし自身をハッピーな言葉で満たそう!

作品の方向性についての考察

そういえば、文学などは、苦悩を描いた作品が多いし、むかしの文豪も暗い人が多い印象ですよね。流行の歌も、ハッピーハッピーな歌詞よりも、せつなくつらい歌のほうが多かったりするし。ひとはつらいことを昇華するために表現をしたくなるものなのかもしれません。 物語としても、つらいことや暗いところもあったほうがドラマチックですね。 イケメンだけしか出てこないマンガは、イケメンがふつうに見えてしまうように(笑)。ハッピーなだけだとただの抑揚のないお話になってしまう。アップダウンがあることがよりハッピーを引き立たせる。 結局、明るいところばっかりでも、暗いところばっかりでも面白くない。両方のバランスや配分が、肝なんだろうと思いました。 そう考えると、わたしの人生も、つらさがあったからこそ、よりハッピーを感じられるということなのかもしれないな、などとしみじみ感じます。 そして、「ネーム大賞」に応募するプロジェクトの進捗も書かなくては!と焦るのでしたっw