ひきつづき、ブログ更新頻度アップのため、「結論ファースト」な文章術について、ふわふわ考えをめぐらせていました。
こんにちは。永理です。
今日の結論
いろんなところで「まず結論を先に言え!」「結論を決めてから文章を書き始めろ」と言われますね。
わたしはずっとそれが苦手でした。
が、今日は、たぶん頭の中で、あらかじめ思考がまとまった気がしているので、最初に結論と思われることを言ってみましょう。
結論には必ず理由が必要である
上記のごとく最初に結論を言うと、たぶん「なにそれ」「どういうこと?」と、そのあとに補足説明や理由がくることが期待されるでしょう。
「結論ファースト」の文章というのは、はじめに結論をだして、「なぜならば〜〜」と、あとから理由を説明していくスタイルですね。
しかし常に結論が先でいいのかという極論
たとえば会社で、いきなり「有給ください」といったら、理由を聞かれますよね。この場合は、かんたんにでも理由を先に言うほうが自然でしょう。
「友達の葬式にでるから、有給ください」とか。
(最近身内の葬式があったのでこんな例ですみません)
これでもまだ、「それって必要? 仕事の方が大事じゃないの?」みたいに思う上司もいるかもしれません。前日にお通夜だけ行けばいいんじゃないかとか。
すると、たとえば「隣家で家族ぐるみのつきあい」「長年の親友」「兄弟同然に育った」「今は海外に住んでおり、葬式は外国」みたいな追加情報を説明し、「なるほど」ということになるかもしれません。
やはり適度な(理由)は前段に必要なのでは
しかし、理由を後出しにすると、うまく説得できないこともあります。最初に「休みたい」と言った時点で「は?この忙しい時期に休むだと?」みたいに、怒りのスイッチが入ってしまう人が相手の場合です。
一度悪印象を持たれると、あとから理由を説明しようとしても、いったん切れた手前引っ込みがつかないのか、高ぶった感情を発散されるのみで、あまり話を聞いてもらえないかもしれません。
もちろん、最初に親友のことを延々と語り始めても、職場では「結論から言え!」となるに決まっていますが。
結局、いかに簡潔に「まず結論を!」と言っても、通常は「(理由)だから(結論)」と、ほどよい分量で、理由と結論をワンセットにしてまとめるのが一番無難でかつわかりやすいのではと思います。
「ともだちの葬式だから」だけでは納得が得られなそうならば「幼稚園からの親友が他界して、米国で行われる葬儀にどうしても参列したいので」とか、相手に応じた、冗長すぎず、かつ詳しい理由を先に説明したほうが結論も受け入れられやすいのではないでしょうか。
この理由の「ほどよい」分量を間違えると、説得力がなくなったり、逆に言い訳がましくうざくなったりしてしまいますよね。
結論ファーストは相手への信頼が基盤にある
相手のネガティブな反応を想定すると結論を先出ししにくい
たとえば、こどもが「お母さん、お金ちょうだい」と言って「なんで?いくらほしいの?」とやさしく返されるような場面を想定しましょう。
ごくふつうの会話に見える方は良い親子関係だったとお見受けします。その場合、当たり前すぎて気がつかないかもしれませんが、これはこどもの母親への信頼に基づいてなされています。
自分の場合だったら、いきなり「お金ちょうだい」と言うのは怖くてできません。よほど運がよくなければ、それだけで相当機嫌を悪くされます。先生から「〜〜と言われたから」とか、何の用途だとかを要領よくまとめて、「〜〜だからお金をちょうだい」と手短に伝えなくてはなりません。
こどもだからうまく説明できなかったり、怒られるのが怖くて「ちょうだい」と言い出す時間が遅くなったりしてもNGです。まあ記憶する限りでは怒られずにすんなり受け入れられたことはないですね。うーん。つらかった。
さておき。
さっきの有給申請の例に戻ると、正当な理由があっても(そもそも労働者の権利なのに)、有給申請を却下されたり、あるいは取得できてもねちねち嫌味を言われるとか、あとから評価を下げられるとか、そういうこともあったりしますよね。(こちらは自分の話ではありません。)
何がいいたいかというと。
「お金ちょうだい」「有給ください」
みたいな、「結論」を、十分な説明なしに言いだしても「受け入れられる」という期待がない限り、いきなりそんな主張はできない、すくなくともやりにくいということです。
そうではありませんか?
結論を受け入れられる期待があればこそ先出しできる
関係のいい職場なら「あのー、明日有給使っていいですか?」「え、いいけどなんで?」「実は、おととい親友が亡くなって・・・」みたいにスムーズな会話になるかもしれません。こういう会話になるだろうと想定できるなら、安心して「有給ください」と言えます。
しかし「あのマネージャーは絶対に文句言う!」と想定していたら、「ああ言われたら、こう言おう」と事前に一生懸命ぐるぐる想定問答を考えたりして、時間もエネルギーも使い、胃が痛くなったりするかもしれないじゃないですか。
相手がちゃんと落ち着いてニュートラルに話を聞いてくれるだろう、そしてわかってくれるだろう、という信頼こそが、「結論を先に言う」という行為の前提になるのではないかと、ふと思ったのです。
どうでしょうか。
今日の発見>説明がうざいのは相手を信頼していない証拠
つまり、最初にぐだぐだ理由を言わないと結論に入れないというのは、そうしないとわかってもらえない、なんならそうしてもわかってもらえないという想定だから。
もしかして、ふだんそういう感じで生きていると、ブログでもぐだぐだしちゃうのかもしれないなって思ったんですよね。
わたしの場合「わかってほしい」という思いから書き始めているのに、こころのどこかには「どうせわかってくれないよね」みたいにふてくされた気持ちも存在していて、それが元凶だったのかなと、これが今日の発見。
結局自分にとって「結論ファースト」な文章術を実践しようとする際の障害は、国語力などの技術的なものより、むしろ心の問題かもと思いました。
書きながら「わかってもらえなかったらどうしよう」と不安だったのですね。それは相手を信頼していなかったから。ブログを書く際に信頼すべき相手とは「読者」のこと。
つまりわたしに必要なのは、読者を信頼することでした。というより「信頼できる人」を読者として想定する、ということだったのかなと思いました。
関連して論じたい内容がでてきたのですが、長いのでまた後日。
関係ないけど、ブログってこういうときに続きものが書きにくいのですよね。
ともあれ。今日はこの辺で! 長々読んでくれた方へ。どうもありがとう!