自分の欲しいものがわからなかった理由【夢分析】

最近夢をよく見る。なにか心理的な気づきを示唆しているっぽいのに、起きたらすぐ忘れてしまうのが惜しい。

でも今日は、ちょっと気になったので、覚えてる範囲を書いてみよう。

昨日見た夢

わたしは夢の中で、何かの列にならんで買い物をしようとしている。もう少しで買えるというところで、友達がやってきて「そんなの並んで買わなくていいよ」といって別のところに誘うので、買わずに列を離れる。

そのあと「やっぱり欲しかったのに」「もうすぐ買える順番だったのに」という思いが湧いてきて、その友達のせいにするみたいな夢。

でもさ。自分が欲しいものを買うのに、自分で並んでいるんだから、友達がなんと言おうと、欲しかったら買えばよかったんだよ。ただそれだけ。

それなのに、なんか自分自身の「欲しい」という気持ちすら、自信がなくて曖昧で、容易に他人に流される自分がいた。

これはなんでか?と考える。

そうしたら、でてきたのは、やっぱり「親」。

自分の欲しいものがわからない理由

たとえば、親が与えたくないものを欲しいとする。

べつにこどもが欲しいものを全部買い与える必要はないと思う。「これは買ってあげません」ということがあってもしかたない。わたしは、買ってもらえなくても駄々をこねたりはしなかったと思う。

けれど、単に買わないよという意思表示以上に、「なんでそんなもの欲しがるのか」「ばかじゃないのか」「センスが悪い」などなどなど、がみがみがみがみ、ときに何時間も怒られる。

結果、「欲しい」と思っている感性や、欲求や、人格ごと否定されてる感じがしたものだった。

トラウマとなった出来事の一つ

というところで、ふと思い出された出来事がある。

大学生になって、自分のバイト代ではじめて靴を買った時、それは平凡な革靴(ローファー)だったのだが、思いもよらず大事件となった。

わたしは革靴が一万円というのは妥当だろうと判断して買ったのだが、母は「高い!!」とすごい剣幕で怒り出した。そもそも定価でものを買うということも許せなかったらしい。「こんなものはバーゲンだったら5000円くらいで買えるんだから」などと、いろいろ文句をいい倒して、あげくには「返品してこい」と強要した。

べつに、騙されて低品質のものを高額で買わされたというわけではなかったと思う。今はバーゲン期間ではないのだからバーゲン価格でないことに文句をいうのもおかしいだろう。また、ちゃんと試し履きもした上で納得して買ったのだ。足に合わなかったということでもない。

母が、品質と価格に納得がいかないと言ったって、お金をだして買ったのはわたしだ。買った店は往復一時間かかる場所にあって交通費もかかる。わたし自身は返品したいと思っていないのに、母が気に入らないというだけで、なぜ交通費と時間をかけてわたしが返品の手間をかけなくてはならないのか。そんなのはいやだ。行きたくない。

そう言ったら、母は「そんなら、わたしが行ってくる!」と言って、自分でわざわざ交通費をかけて店まで行って、本当に返品してきてしまったのだ。信じられない。

たとえば子どもが奇抜な格好をしたがって、親がそれをいやがるというのは、心情的に理解可能ではある。が、この場合はあてはまらない。大学生が、学生らしい「ふつーの」ローファーを買っただけだ(しかも自分のバイト代で)。

まさかこんなにも全否定されて、何時間も怒られて、挙げ句の果てには買った商品を勝手に返品までされるなんて。

何時間も言い争ったけれども、わたしは負けた。自分のバイト代で自分の靴を買うこともできなかった。悔しい。そもそもなんでこんなことで、争わなくてはならなかったのか。意味がわからない。

母はいつもわたしにいろいろ強いるときに「金を出してやってるんだから」と言っていた。けれど、結局自分で金を出してもこうだったんだ。

こんなことばかりが続いた結果として、自分で自分のことを決めてはいけない、と強烈に心に刻み込まれてしまったように思う。

過去の傷跡が残したもの

自分も歳をとって、子育てがものすごく大変だということは、やったことがないなりにすこしは考慮できるようになったけれど。その大変な子育てをしてもらった大恩を差し引いても。

基本的に、毎日こんな調子だったから。

ごめん無理。

強烈すぎる。不合理すぎる。理不尽すぎる。こどもの人格に敬意がなさすぎる。

よくも、毎日毎日、何時間も、わたしの人生を、わたしの貴重な若い時間を、そんな気分の悪い自分勝手な考えを押しつけることに使ってくれたものだ。

とりあえず、わたしは今、そんな過去の出来事どもを「ゆるせない」「ゆるしたくない」と思っている自分に、寄り添って生きようとしている。

過去と現在をつなぐ鎖

で、そういう過去の出来事などがトリガーとなって、現在の行動パターンが作られているから。

わたしはなんでも、「自分がこれを欲しいと思っても【いい】のか」すら自信がなかったし、それを人に決めてもらおうとしてたんだと思った。

でもさ。どう考えても、自分で自分の靴を買っても【いい】でしょう。他に誰が買うの。

ねえ。

わたしはちゃんと自分で決められるし、関係ないのにガタガタいう人のいうことなど聞かなくていいんだよ!

わたしの人生の決断は、わたしのものだ。そこで、わたしの意見を尊重しない人とは仲良くできなくてもよい。

はあ。もう。長年かけて、毎日、何時間もかけてぎゅうぎゅう押し付けられた歪んだ考えを修正するのには、すごくエネルギーと時間がかかるね。

しょうがないのか。コツコツ行こう。