昨日「自分にとってブログとは〜自分の頭で考えたことをアウトプットする場所」で、ブログのエントリを「こんにちは」とか「久しぶり」といった挨拶ではじめることの是非について書きました。
その点について、昨日は「そんなの好きにすればよくない?」という、ただの感想レベルの思考で止まってましたが
ふと、挨拶を書かないほうがいいかどうかは、つまるところ「ブログの目的による」ということかなと思いいたりました。
ブログには役立つこと以外書くな?
たとえば、わたしは、技術関係の情報をインターネットでよく検索します。その場合、技術的な情報にすばやくリーチしたいので、ブログ運営者の個人的な情報はノイズになりえます。そういう「情報だけを知りたい」という場合には、挨拶はなくてもよいかもしれない。
一方、極端な例として芸能人ブログなどでは、「こんにちは」「久しぶり」などと書かれるのもごく自然でしょう。それは、「誰が書いているか」「その芸能人自体」が価値だから。
ああ、そういえば。
「芸能人でもない、個人の日常などどうでもいいんだ。書くな」というブログノウハウも昔よく見ました。(最近もあるのかな)
(あれ、なんかこれ、同じことを以前にも書いた記憶がうっすらありますね。)
それって本当に正しい法則?
しかし、いったい「個人の日常を書くな」主義を人におしつける人は、それを本当に常に成り立つ法則として自分の経験からあみだしたんでしょうか? 単にどこかでノウハウとして見聞きしたのを、考えなしに鵜呑みにしてるだけではないのかしら。
だって、個人事業主や中小企業などの商売目的のブログですら、日常やふだんの様子を掲載し、親しみを持ってもらって集客している事例も多くあり
もっと大規模な企業のツイッター等でも、いわゆる中の人のパーソナリティを打ち出して人気になっているアカウントもたくさんありますよね。
ようするにパーソナルな内容だから、必然的にどうでもよくてつまらなくなるのではない。情報だってつまらなくなるし、逆に個人の平凡な日常だって面白くなりえる。
ブログにパーソナリティを出すかどうかは目的次第
結論としては、ブログに個人をアピールしていくべきかは、ブログの目的による。事業主やアーティストブログとか、ブロガーとして個人のキャラを立たせたいなら、むしろブログの主旨としてがんがん出していくべきでは?
逆に、お役立ち情報提供者に特化した役割の中に存在意義を見出したいなら出さなければいいし。ってことですよね。
そもそも書き手が全く関係ない純粋な情報なんてなくない?
しかし、究極的に言えば、個人がぜんぜん関係ない情報ってあるの? という疑問もあります。だって情報って「誰が言ってるか」も価値に含まれるはずでしょう。
しがないサラリーマンがビジネスについて語るのと、東大経営学教授が語るのと、ホリエモンが語るのでは、同じ内容でも意味が変わり、技術情報すらも、書いているのが技術に疎いブロガーなのか、新米プログラマなのか、マイクロソフトのシニアエンジニアなのかで価値が変わる。
情報といってもまわりを埋めている、一見邪魔な個人的な戯言だって立派な文脈情報になりうると思うんですよね。
一個人が自己アピールすることに何か恨みでもあるんでしょうか
そして、たとえ執筆者が市井の個人にすぎないとしても、「情報を発信する」ことのみを主旨とせず、ある種の自己アピールのためにブログを書いているならば、それは挨拶もふくめ個人の特徴を打ち出していくのは当然でしょう。
「お前なんか知らんし、どうでもいいんじゃ」とか。そんなことを言われる筋合いこそむしろないといってよい。
所感
まあ仮にブログを「儲ける」ということを主目的として書きたいなら、その人の資質として自己アピールしないほうが目的に合致するなら、書くのやめたらいいよ。だから目的によるんだよね。ただそれだけ。
結局、そういうブログの目的や個別の資質を問わず「お前の個人的な日常など、くそどうでもいいんじゃ。書くな!」という人、あるいは「挨拶とかうるさいし、久しぶりとか知らんがな」と言う人にたいして、言われた人はどう思うだろう。
ってところかもしれない。
正直そういう発言を見るたびに、軽くもやっとした気持ちになってたんだわー。
なので。
頭が整理できたら、すっきりしました。よかった。