こんにちは! 永理です。
先日スマホの音楽ゲームをやっていたときに、ふと自分の歪んだ世界観に気がついた話から、まちがったポジティブシンキングについて語ります。
事例:アイドル育成ゲーム、アイチュウをプレイしていたときの話
やっていたゲームはアイチュウです。アイチュウというのは「アイドルになる途中」という意味で。プレイヤーはアイドル養成学校の女性プロデューサーというロールプレイ。楽曲に合わせてタイミングよく画面をタップする音楽ゲームでポイントをため、ランクアップすることで、アイドル育成のストーリーが進行していきます。
女性向けなので、アイドル養成学校の生徒(アイチュウ)は、みんなかっこいいorかわいい男子です。逆ハーレムですね! たくさんのイケメンたちが、主人公である女性プロデューサーに、ちょいちょい気があるようなことや、ときめくようなことを言ってくるわけですよ。わかるね? うん。
まあそういうものを楽しむという遊びなのですが。しかし、その場面をプレイしていたときの、わたしの心の声にふと耳を傾けたところ。
「なによ! こんなBBAをうれしがらせようとあざといこと言ってくるんじゃないわよ! だまされないんだからね!」と。
うーん、いやいや。
皐月(そのときしゃべっていたアイチュウ)は、わたしを騙そうとしてないからね。
そんなに腹黒くない……。はず。
それに。
そもそも。
これは。
ただのゲームだから!!!!!
わたし個人に言ってるんじゃないから。プログラムだから!
それに、プロデューサーに永理って名前をつけたからって、ゲームの中では24~5歳の設定だったはずだし。勝手に自分をあてはめてBBAとか言うなや。かわいそうやろ。
「でも相手は17歳だよ? だめでしょ!」「ないない」
じゃなくて。
ゲームだからね?
わかってるよね?
うん。
ネガティブな思考回路をどうやってやめるか
ここでこの話をしたのはですね。年甲斐もなく乙女ゲーに右往左往する醜態をさらしたいわけではなくて。
ふと。
なんで、俺ってば、ゲームですら素直に楽しまずに「だまされないからね!」なんて思っちゃってるんだろう。
っていうね。
自然な思考回路がそれかよっていうね。
そんなのいやああああ!!!!!
というわけで、そういう考えはやめようと思いました!
俯瞰して、これだけにとどまらず、ネガティブな思考回路をどうやったら断ち切れるかについて考察したい。
そのための前振りでした。ながっ!
はい。
ポジティブ思考を訓練すれば問題解決か? 否。
たまたまさっきみたブログに、「いつもネガティブに考える人は、もっと視野を広く持ってポジティブに考える訓練をしよう!」みたいなことが書いてありました。一見いいことが書いてあるように思えるのだけれど、なんかそれだけでは薄っぺらいなあと思ってしまった。
ネガティブだとなんでだめかというと、単純に「そういう暗い考え方をしてるとつらいよね」ということもあるし、「どうせあたいは嫌われ者さ」みたいにひねくれてるとうざいということもある。
そうはいっても、実際問題として、いわれもなく嫌われているという事態もありうるし、その際「あ、わたしって嫌われているな」と思うことは別にネガティブなわけではない。正常な現状認識だ。
一方、それが事実ではないときに、たとえばただのゲームのプログラムであるのに、「わたしなど人から好かれるはずがない」つまり「やさしくされる値打ちがない」なのに「やさしくする人、それはだまそうとしている人だ」のような思考回路を起動して結論を出すのは間違っている。
結局、ネガティブが悪いのではなくて、たんに間違ってるというだけではと思った。
だって、相手に嫌がられているのに、それは愛情の裏返しだとか、ただのツンデレだとか、そんなストーカーじみたポジティブはいらんわ、って話もあるじゃないですか。
ネガポジで良し悪しをジャッジするんじゃなくて、単にへんなバイアスを通さずに、現実を正しく認識しましょう!と。
そういうことじゃないのかなと。
結論
ネガティブに寄りやすいひとが、多少「別の見方もできるかもしれない」と、ポジティブな可能性を考えてみるのはひとつの方法論ではあるかもしれないけれど、目的を履き違えてはいけないと思う。ポジティブな考えになることが大事なのではない。現実を正しく認識することが大事なのだ。
人生ポジティブなこともネガティブなことも両方起こるよ。それを、正しく認識した上で、現実的な打つ手を考えなければならない。現実に即していないときにポジティブになるのはむしろ道を誤る。ポジティブに、世の中を自分に都合のよいようにしか見ないというのも、ある種の現実逃避。ときに深刻な周囲との齟齬を生む。
もちろん、冒頭の事例のように「その考えは明らかに間違っている」と明確に判定できることは、現実的には少ないかもしれない。
好かれていると思っていたけれど勘違いだった、逆に、嫌われていると思い込んでいたのが被害妄想だったということもある。結局どっちかわからずじまいということも多いし、そもそもどっちでもないかもしれない。だから、わからないことを強引に決めつけるのはやめたほうがいい。それはただの思い込み、妄想だ。
どうせなら、楽しい思い込みのほうがましということはあるとしても、保留にするしかない物事にむりやり白黒つけるのは自己欺瞞。仮にどちらかを前提として行動をきめなくてはならないとしても、むりに片方の可能性を無視すると、不安が生じたりおかしなことにもなる。
究極を言えば、完全なる「真実」などはわかりようがないし、多かれ少なかれ人は妄想の中に生きているということは言えるかもしれないけれども、あまりにも現実を無視した妄想世界には入らないほうがいいのじゃないだろうか。
単純に、ネガティブはあかーん! レッツゴーポジティブ! みたいな、ポジティブ信者はそういう妄想の世界に入り込む危険がある。単に逆方向に振り切ってるだけで、本質的にネガティブから進化しているわけではないのに、自分のほうが上、と肯定してしまいやすい分始末が悪いかもしれない。
だから。
言いたいことは一つ。それがネガティブであれ、ポジティブであれ、ただしく現実をみる勇気を持とう!
そう、つまり。枢木皐月(くるるぎさつき)はいい子ですwww 結論。
え。